前回のブログ『再々投稿 ㊸後編-5 無上ノ霊地と韓国岳と木簡と球磨の郡家』より続きます
 
 
 
謹んで新春のお喜びを申し上げます
 
 
皆様方のご多幸をお祈り致しますとともに

普通の生活が、当たり前ではなく「ありがたい」と心から思える日が

穏やかな日が 一日も早く訪れる事を心からお祈り致します

 
拙いブログですが
本年もどうぞよろしくお願い致します
 
 
ひろっぷ こと 宮原
 
 

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今年最初のブログタイトルは
鏡餅と霧島連山と矢立と世界最古の稲作と・・
 
音楽と共にお付き合い下さい😊
Fearless Motivation - Become Who You Are - Song Mix (Epic Music)
 

 

 

 
 
 
 
私の家から見た初日の出です😊
 
球磨郡久米郷の象徴と言われる黒原山(くろばる山)
古代久米族の守護山と言われる黒原山です😊
 
 
 
 
 
この歳になって・・初めて、元旦の初日の出は黒原山の真横から昇る事に気が付きました。
(^▽^;) ・・・・😊
 
 
 
 
 
父のお友達が、庭に咲くお花をくださったので、床の間と玄関に菊の花と共に飾りました。
年末、飾ってすぐに写真を撮ったので、周囲をかたずけていませんねぇ・・お恥ずかしい(^▽^;)
 
 
写真を撮った時に片づけていなかった絵皿は祖母が飾っていたもので、
思い出に、今でも普段飾っています😊😊
 
仲よき事は美しき哉
祖母が好きだった言葉です
 
主人は医療機関に務めていますので年末年始はお仕事で、今朝も早朝出勤。
昨晩は私が作った心ばかりのお節料理を食べて
父と共に親子3人で穏やかな元日の夜を過ごしました。
 
 
 
 
 
1.鏡餅の干し柿
 
日本全国、地域ごとに、又、ご家庭ごとに鏡餅の飾り方が受け継がれていると思います😊
 
私の住む、球磨地方では、多くの家庭が鏡餅に干し柿を飾ります。
家もそうです😊
 
橙(もしくは小蜜柑)と干し柿が家の鏡餅
 
ただ・・北九州に住んでいた時、あまり、干し柿を飾っているご家庭を見た事が無かったので
干し柿の風習って何だろう??
と思い、調べてみました😊
 
すると・・
関西では干し柿を飾るご家庭が多い
という記事を複数目にする事が出来ました。
 
面白くなったので、さらに調べた所、干し柿のとても大切な意味をご紹介なさっていらっしゃるサイト様を見つける事が出来ました😊
 
 
 
ウェザーニュース様 サイト
「三種の神器」に見立てた鏡餅 上には何が乗っている? より
 

 

 

 

 

「三種の神器」に見立てた鏡餅 上には何が乗っている? では

神社の宮司様のお話として

 

「三種の神器」に見立てた鏡餅
正月に飾る餅を鏡餅と呼ぶのは、昔の鏡は青銅製の丸形でそれに似ていることにちなんでいます。その上に乗せるものは昔から決まっていました。

「鏡餅の上には、橙(ダイダイ)と串柿(串に刺した干し柿)を飾ります。

 

鏡餅全体を三種の神器に見立てて、

鏡餅は八咫鏡(やたのかがみ)、

橙は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、

串柿は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です」

 

「三種の神器」に見立てた鏡餅 上には何が乗っている?を拝見して理解した事でした。

 

 

そうだったのだ\(◎o◎)/!

知らなかった・・・

 

干し柿は 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

 

毎年、鏡餅をお下げした時に干し柿を食べるのは父・・

だったのですが、今年から、私も、ありがたく頂こう(^^)/と思います😊

 

 

 

 

 

 

2.市房山山頂から見える霧島連山

 

前回のブログでご紹介したサイト様

自然回帰 様 より、市房山山頂のお写真をお借りする事をご了承頂けました!

 

自然回帰 様には心から感謝申し上げます。

 

私は、ご了承して頂き、嬉しくて涙が溢れました

 

 

皆様、ぜひ、

自然回帰 様がお撮りになられた市房山山頂のお写真をご覧になられて下さい。

 

 

自然回帰 様 サイト

県央の盟主、市房山

 

 

 

 

撮影 自然回帰 様

市房山山頂より望む霧島山

 

 

 

無上ノ霊地ナル市房山の山上からは

霧島連山 が見えます・・

韓国岳 が見えます・・

高千穂峰 が見えます・・・

 

 

その先には・・

遥か遠く・・

野間半島かな?

陸地が見えます・・

 

 

無上ノ霊地ナル市房山に

登って見なければ決して解らない風景が

そこにあるのです・・

 

 

からくに が見えました・・

 

 

山に登る人しか解らない事・・

その風景・・

 

素晴らしい風景・・

 

 

 

感動いたしました・・・

 

 

 

 

 

 

 

3.日向国椎葉の矢立

 

 

私の祖母の実家は岡原の平川家

祖母の実家は江戸時代中期まで平河でした。

 

 

祖母の祖父。

つまり、私の高祖父は椎葉村大河内矢立を名前の由来とする矢立家から縁戚関係にあった平川家(平河家)を継ぐ為に子供の頃に養子に入っています。

 

 

伝承では、壇ノ浦の戦に敗れた平家の方々のどなたかが矢立集落に逃げて来られたようです。

 

祖母の直接のご先祖様となられるその御方は、矢立雪矢神社様に御祭神としてお祀りになられていらっしゃいます。

 

※男女対の夫婦神を主神として祀る神社である。

この夫婦神のことを「雪矢さん」と呼ぶ。

 

「雪矢」は「征矢」とも書かれる

 

※真綿にくるまれた木製のご神体

(男性は衣冠束帯、女性は十二単)

 

 

地主堂(じぬしどう)

矢立集会所上の坂道で最初に出てくる人家のすぐ下にある、木造の小さな堂。
神体は石彫彩色の、衣冠束帯坐像。

 

矢立集落に最初に住み着き、骨を埋めた「地域の祖先神」として祀られている。 

 

4畳ほどの広さのお堂の中に祭壇があり、石造りの像が3つ置かれている(写真左側の石像はその一つ)。 うち2つは古いご神体がそのまま置かれているものであり、本体は一つとみなされる。

 

「矢立氏」の子孫は、すでにこの土地には住まっていない。

 

過去ブログ『見えない大きな力より』 抜粋致しました <m(__)m>

 

 

矢立氏は、相良藩史において、室町時代の記述に藩士としてその名が見えますので

遅くとも、祖母のご先祖様は、室町時代までには、市房山の頂上を望む、標高1000mの

矢立集落から球磨の盆地内に降りて来られているようです・・

 

 

 

過去ブログでもご紹介しておりました。

2017年4月に書いたブログ『矢立集落に行って参りました。』

 

 

 

2017年11月に書いたブログ『見えない大きな力』

 

 

 

熊本県球磨郡水上村湯山を抜け隣接する宮崎県東臼杵郡椎葉大河内矢立集落

 

宮崎県東臼杵郡椎葉大河内矢立集落は、市房山(標高1720m)の頂上付近が
目の前に見える標高1000mの矢立高原にありました。

 

 

 

 

矢立集会所付近の棚田です

 

 

 

 
 
 
市房山が無上ノ霊地であった事を知ってから
ずっと、矢立集落に逃げて来られた祖母のご先祖様、私のDNAに直接繋がるご先祖様が気になって仕方ありませんでした・・
 
だから、前回のブログで
 

平家の方々が九州中央山地に来られたのは・・

ここまで書いてきた事に繋がっているような気が致します・・

 
と書いていたのです・・
 
 
所が・・!
思いもかけないお話で、天孫降臨にお繋がりの「やたて」の言葉を
目にする事になりました。
 
 
いつも拝見して、勉強させて頂いている
女神物語 ー弥生神代の考察ー asahonmati様のブログ
膨大なご研究内容の一つ
天石門別3 天石門別神:忌部二世神
こちらに、私の心を揺り動かす、お話が記されておりました。
 
asahonmati様
心より感謝申し上げます。
 
 
 
皆様方にもぜひご覧頂きたいと願い、勝手ながらご紹介させて頂きます。
 
天石門別3 天石門別神:忌部二世神

 

 

asahonmati様の 天石門別3 天石門別神:忌部二世神 に記された、

私の心を釘付けになった箇所を勝手ながら転記させて頂きます。

 

asahonmati様申し訳ございません。

 

 

女神物語 ー弥生神代の考察ー 

asahonmati様 の天石門別3 天石門別神:忌部二世神

<1-2> 「天石門別八倉比賣大神御本記」 より

 

 

「天石門別八倉比賣大神御本記」は天石門別八倉比売神社には伝わる古文書ですが、学術的には未だ認められておらず、偽書説が一般的である、と阜嵐健氏は述べておられます。

 この書にも「天石門別神」が登場しています。部分引用(抄訳)は次の様です。
 

・伊邪那岐神と妹の伊邪那美神の二神により、国土・海原・山川や諸々の神が産み出された。
   

・その後、伊邪那岐神が左の目を洗った時に生まれた神の名を日靈大神、

亦名を八倉乃日靈大神と云う。
   

・最初、高天原で戦に備えた後、天石門別神に勅命を発して

「今後、汝らは吾に代わり戦に備えよ。汝らはこの「羽々矢」と 「御弓」を葦原中國に持って降り、良い場所に奉蔵せよ」と申された。
   

・八倉乃日靈大神も天降り、ここは「天羽々矢」と「天麻迦胡弓」を納めるのに相応の処だ、

と申された。
  

・二神*は高天原より弓矢を持って降り、天の中ほどに立ち「この矢の止まった所に奉蔵しよう」と云い、放った矢が落ちた場所を   

    「矢達の丘」と云う。今は「矢陀羅尾」と云う。
 

・二神*は、この地に矢が落ちた事を覚えておくために「矢乃野)」と名付けて、その矢を奉蔵した倉を「矢乃御倉」と呼んだ。

    また、その弓を奉蔵した地を「弓乃御倉」と云う。

 ここに云う二神とは箭執神(櫛岩窓命・豊岩窓命、二神は御門の神であり天石門別神とも云う)、及び、松熊神(手力男命・天宇受女命)を指すと思われ、今、天石門別八倉比賣大神に至る登り参道の途中に箭執神社と松熊神社が鎮座しています。

 阿波の降臨伝承は、八倉乃日靈大神(天照大神に擬する)の降臨に天石門別神(箭執神)が随従し、松熊神(手力男命)が登場します。

 

以上

女神物語 ー弥生神代の考察ー 

asahonmati様 の天石門別3 天石門別神:忌部二世神

<1-2> 「天石門別八倉比賣大神御本記」 より 転記させて頂きました。

 

 

 

八倉乃日靈大神も天降り、ここは「天羽々矢」と「天麻迦胡弓」を納めるのに相応の処だ、と申された。
  

二神*は高天原より弓矢を持って降り、天の中ほどに立ち「この矢の止まった所に奉蔵しよう」と云い、放った矢が落ちた場所を   

    「矢達の丘」と云う。今は「矢陀羅尾」と云う。
 

二神*は、この地に矢が落ちた事を覚えておくために「矢乃野)」と名付けて、その矢を奉蔵した倉を「矢乃御倉」と呼んだ。

    また、その弓を奉蔵した地を「弓乃御倉」と云う。

 

 

こちらを拝見して、私は、驚きのあまり、鳥肌が立って、しばらく治まりませんでした・・・

 

放った矢が落ちた場所を   
「矢達の丘」と云う。

 

 

 

無上ノ霊地であり、霧島連山が正面に見える市房山山頂

からくにが見える

市房山山頂

 

その市房山山頂を正面に見る標高1000mの高原、矢立高原

矢立にご鎮座の

雪矢神社

別称

征矢神社

 

 

こういう偶然って本当にあるのでしょうか・・

 

 

女神物語 ー弥生神代の考察ー asahonmati様のご研究のお陰で

私は、また一つ新たなカーテンが開いた・・と考えました。

 

asahonmati様 ありがとうございます。

 

 

 

 

 

4.柳田國男氏と椎葉村そして球磨

 

宮崎県東臼杵郡椎葉大河内矢立集落

 

 

椎葉村大河内集落、矢立集落に滞在して、日本民族の研究をなさった方こそ

柳田國男氏

別名筆名=久米長目

 

 

柳田國男氏は球磨郡あさぎり町須恵、旧須恵村とはとても関わりの深い方です

 

旧須恵村には戦前、アメリカの文化人類学者ジョン.F.エンブリー夫妻が約1年間滞在されて、日本の農村の研究をされていらっしゃいます。

 

須恵村が選ばれたのは柳田国男氏(久米長目 氏)の助言によるものでした・・

 

 

2019年8月に書いたブログ

③球磨のモン・クメール系倭人と久米をDNA解析に至るまで検証 祖父母の行動を探る その2

 

 

 

 

2019年9月に書いたブログ

④「菊と刀」と球磨郡(久米)とさらに三国志時代の中国と・・祖父母の行動を探る その3
 

 

 

 

 

しかし・・わたしは

「菊と刀」 について、私は複雑な気持ちがあります

 

※補足

1935年 - 1936年 - アメリカ合衆国の文化人類学者ジョン.F.エンブリー (1908年 - 1950年, John Embree) によって部落社会(※本来集落の意)の構造が実地調査され、

「Suye Mura: A Japanese Village」(Chicago,1939)によってまとめられる。

日本文化理解の教科書、「菊と刀 (1944)」の参考文献として挙げられる。

 

 

須恵村の方々は、

自然体でアメリカの文化人類学者ジョン.F.エンブリー夫妻を心から持て成していました。

 

優しい、暖かい心で、お持て成しをしていました。

 

この方々の心の絆は

大戦中のアメリカの上層部の人達に踏みにじられてしまった・・

「菊と刀」は利用されてしまった・・

球磨の人々の思いは・・

 

私は、その事がとても悲しいです・・

 

独り言でした・・

 

 

 

 

水稲稲作 南方経由説(黒潮ルート)

 (ウィキペディアより)
 

柳田國男の最後の著書「海上の道」で提唱した中国の長江下流域からの南西諸島を経由して稲作が日本に伝播されたとする説である。

 

石田英一郎、可児弘明、安田喜憲、梅原猛などの民俗学者に支持され。佐々木高明が提唱した照葉樹林文化論も柳田の南方経由説の強い影響を受けている。
 

北里大学の太田博樹准教授(人類集団遺伝学・分子進化学)は、下戸の遺伝子と称されるALDH2(2型アルデヒド脱水素酵素)遺伝子多型の分析から、稲作の技術を持った人々が中国南部から沖縄を経由して日本に到達した可能性を指摘している。

 

 

球磨で縄文時代後期の地層から有肩打製石斧が発見されたと言う事は

南方経由説(黒潮ルート)との関係が見えたと言う事になるのでは!?

 

と、ブログ『③球磨のモン・クメール系倭人と久米をDNA解析に至るまで検証 祖父母の行動を探る その2

で考えていた私ですが・・

 

今では、その考えが少し違います

 

長江下流域で水稲稲作を開始された方々こそ

超古代に日本列島から移動した人達ではなかったのか!?

 

と、今では強く感じています。

 

 

 

5.世界最古の水稲稲作を開始したのは倭人である!

 

 

かなり、以前、ブログ内でご紹介させて頂いた論文

倭人と倭人文化の謎

 

中国の学者でいらっしゃる作者の方は 以下のように記されています

 

新石器時代の初期、「倭人」が主に暮らしていたのは雲南の滇池一帯であったろう。

 

彼らは水稲栽培の創始者であり、黄河文明と比肩できる長江文明を生み、育てた人々である。

 

と・・・

 

しかし・・

 

作者の方は、初めから長江流域に倭人が住んでいた・・

とお考えのようですが

私は違います!

 

水稲栽培の創始者「倭人」の方々は、日本列島から超古代に大陸に渡った人達である!

 

と私は考えます。

 

 

さらに・・作者の方は、大陸の古代において「倭人が建国したであろう多くの国々」についても

お書きになられていらっしゃいます。

 

そして・・

紀元前213年頃から焚書を行われた御方も・・

実は倭人であったのだろう・・

 

とお書きになられています

 

皆様、ぜひ、ご一読なさってみられては如何でしょうか・・

 

 

 

 

水稲稲作について

かの国の方も言われているのですから

おそらく間違いないと思います

 

世界最古の水稲稲作を開始したのは倭人である!

水稲栽培の創始者「倭人」の方々は、日本列島から超古代に

大陸に渡った人達である!

 

と、私は考えます

 

 

 

今から書く事を不敬だとお考えになられる方もいらっしゃるかと思いますが

ご了承下さい

 

瑞穂の国とは

世界最古の水稲稲作を開始した倭人の故郷

世界に誇るべき日本である

という意味ではないのか・・

と私は考えるのです

 

 

瓊瓊杵尊様のご降臨を水稲稲作と結び付けて、ご降臨の年代を新しく

(すでに水稲稲作が開始されていた時期)と言われる方々に

ぜひご一考して頂きたいのです。

 

 

本質は、もっと深く、

そして

大いなる事、誇るべき事ではないのでしょうか・・

 

※世界最古の水稲稲作を開始したのは倭人である!

 

 

 

 

🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼

 

 

 

 

今年最初の拙ブログ

 

1.鏡餅の干し柿

2.市房山山頂から見える霧島連山

3.日向国椎葉の矢立

4.柳田国男氏と椎葉村そして球磨

5.世界最古の水稲稲作を開始したのは倭人である!

 

という内容を書かせて頂きました。

 

 

 

 

 

あの。。

今回のブログ、最後に妙な事を書かせて頂きます・・

 

皆様、すでにお気づきだったかなぁ・・😥

黒原山から昇る初日の出の写真・・

 

青い光が写っていましたでしょう

 

 

以前から、写真や動画に青い光が写る事が度々あって、特に動画では、撮影すると青い光がプカプカと浮かんで移動する事もあり・・

 

何だろう(?_?)

と思っていたのですが・・しかし(ー_ー)!!

この現象はカメラによるもので、通称「ゴースト」と呼ばれる現象だと解りました😊

 

 

 

 

なんだ・・そういう事だったのだ~😊

と思いまして、😊

 

ただ・・ある日、青い光の事でもう一つ気が付いたのですが

その事については、一切ネットでは解説されていなくて・・

あれっ(?_?) と・・

 

あの・・私が撮影したカメラ用語?「ゴースト」さんは

静止画、つまり、写真の中でもほんの数秒・・

わずか0.1~0.2秒程

何故か・・動くのですよね・・

(?_?)

 

 

撮影してしばらくして、写真の確認をしていた時に気が付いたのです。

 

でっ(p_-) 主人に協力してもらって

写真(動画じゃありません(ー_ー)!!)の中で青い光「ゴースト」さん?が動く瞬間を

動画で撮影してみました😊

(あれっ?どなたか・・笑うな!って言われましたか・・?😊)

 

 

 

まずは、黒原山さんの写真から <m(__)m>

2枚目に移った瞬間の写真をご覧下さい。
 

 
 
 
この写真は昨年末の冬至少し前に撮ったもので
こちらも2枚目に移った瞬間の写真をご覧下さい<m(__)m>
 
 
 
それぞれ2枚目は
写真なのに青い光が動いているのが解りましたか?
 
 
でも・・共通するのは
家の周辺
という事
なのですよね・・(?_?)
 
何故でしょう・・・🙄
 
 
年の初めにマタマタ妙な事を書いてしまいました<m(__)m>
どうもすみませんでした😢
 
こんな私ですが
皆様
今年もよろしくお願い致します
😊
 
 
 
最後までご覧頂きありがとうございました。
 
 
 
年の初めのブログは
どうぞ皆様、今年もご一緒に
 
負けんば~い!
 
 
皆様
だんだんなぁ~!!
 
 
 
球磨の地より ひろっぷでした😊
 
次回『㊺今、強く感じる事と、新春の球磨盆地と旧久米村』に続きます。