前回のブログ

『(再)最重要 ㊻日国禪(ゆずる)月國ノ狭霧尊 初めてお出ましになられた神様と氏神様』

より続きます。

 

 

 

再々投稿 2022/01/20 21:10

 

本日2022/01/20 11:48投稿の当ブログ

すでにご覧頂いた方々には心より感謝申し上げます。

 

これから、お読み頂く方、拙ブログに興味を抱いて下さり

ありがとうございます。

 

 

 

以下、修正と補足を兼ねた追記であります。

 

最下部に書いた、次回の予告編?を修正致しました。

 

あくまでも最近の私の考えですが・・

銅鐸は春秋時代の越人が伝えたもの・・

ならば、日本の縄文時代から続く王統の方々と

シュメールや古ヘブライから戻ってきた人達や(元々は縄文人)

後に来られた呉王家と呉人(こちらの方々は大陸の倭人、元々は縄文人)や

クメール系(元々は縄文人)の連合

例えば球磨人の方々は受け付けませんなぁ~

だけん、埋めさせたのか~独り言・・でした

 

と言った内容を書かせて頂きます(^'^)

と修正致しました<m(__)m>

 

さらに

当ブログ内で、数回に渡り、宮原氏は物部氏と繋がりがある旨を書きました。

 

補足させて頂きますと

2017年9月に書いたブログ『曾祖父への手紙の真相は?』

 

 

 

2018年10月に書いたブログ『球磨の鎌倉時代以降の橘氏』

 

 

等、他でも書いておりますが

宮原一族を含む伊予橘氏は越智氏の流れをくむ一族です。

 

越智氏には物部大新河の3代後裔「若伊香加」と言う方が養子に入られました。
 

「若伊香加」の後裔に、さらに紀氏「紀大人」の孫「益躬」と言う方も養子に入り

伊予の「越智氏」を繋いでいます。

 

つまり、宮原の一族は越智氏の流れである「伊予橘氏」であり、

「物部氏」の系でもあり「紀氏」の系でもある訳です。

 

実は、この事を私にご教示して下さった御方は、上記ブログ内で、ご紹介させて頂いている

日本の苗字七千傑 サイト主様でした。

 

上記ブログから遡る事5年以上前から、日本の苗字七千傑 サイト主様は、

利用させて頂いていたスレッドにおいて

私に、伊予橘氏と物部氏の繋がりを一つ一つご教示して下さいました。

 

日本の苗字七千傑 サイト主様は、現在、サイトをお閉めになられていらっしゃいますが

歴史に全くの無頓着だった私を、導いて下さった御方のお一人です。

 

日本の苗字七千傑 サイト主様には

心から感謝致しております

 

😊

 

皆様、今まで黙っていて申し訳ございませんでした <m(__)m>

 

 

以下

 

2022/01/20 11:48投稿のブログとなります

 

 

🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 
球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
郷土の方々が、そして故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら
ブログを書いています。
さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

 

新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申しあげます

感染なさった方々の一日も早いご回復をお祈り致しております

 

 

この波が最後の波になるように祈って

負けんばい!!

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

前回のブログを書いて「ホッとした」・・

と最後に書かせて頂きましたが・・・

しばらく更新はしない(ー_ー)!! と思っていた所・・

そうも出来ないのだなぁ~😥という新たな気付きがありまして・・

これが、私なのだろう・・と思いました。

 

来月の「紀元節」には、私もまた一つ歳をとりますし・・

(過去ブログをご覧の方はご存知ですよね😊)

 

もうしばらくすると、農作業のお手伝いも始まります😊

ゆえに(p_-) 今は、精力的にブログを書かせて頂きます(^o^)/

 

それから・・

私がいう所のお導きとは・・

過去ブログでも書きましたように「記憶のDNA」なのだと・・思っています

それを、引き出しているのは、知りたい!と強く願う心にご先祖様方のDNAが反応されている

と、私は分析しているのです(p_-)

😊

そこに・・科学では証明できない「何か」が呼応しているのかな・・と

 

物部氏にとっての天の高天原を投影する事が出来る

地上の高天原は・・

もしかしたら・・「この地」だったのでは・・

ないでしょうか・・

 

と・・前回の、ブログを書いて、私はマタマタ覚醒?致しました。

 

私の中の・・宮原家に伝わる

物部の魂が目を覚ましたようです

・・・なんちゃって・・(^▽^;)

しかし、覚醒?のお陰で色々気が付きました。

 

私は・・

少しホッとした

とか、言ってはおれないようです

(ー_ー)!!

 

 

今回のブログタイトルは

祖母の言葉と方解石とお願い・・

 

何の話??となられるかと思いますが、お付き合い下さい。<m(__)m>

 

 

ブログ再々投稿 ㊸後編-5 無上ノ霊地と韓国岳と木簡と球磨の郡家で書きましたように

関西外国語大学の佐古 和枝教授の講演会で伺ったお話・・

 

球磨の古墳に埋葬されていらっしゃる女性

装飾品以外に鉄剣、他、武器が副葬されているそうです!

他地域では女性の副葬品に武器は非常に珍しいそうで

 

うぉ~!!

かっこいい~!!

球磨の古代女性らしいなぁ~

と、私は感動致しました😊

 

球磨の古代女性らしい

球磨の女性・・

それは・・私の祖母の事が頭に浮かんだからです・・

 

イラストと音楽が私を「負けんばい!」と奮い立たせてくれます。

少し激しい曲ですが・・

今回はこの曲と共に<m(__)m>

Thomas Bergersen - Rada Extended

 

 

 

 

 

球磨の歴史の前に、祖母の事を<m(__)m>

1.祖母の言葉・・

 

2020年の3月に書いたブログ

(再追記あり)私を育ててくれた祖母 探求の原点を見つめてみました

 

 

 

(再追記あり)私を育ててくれた祖母 探求の原点を見つめてみました

でも書いたように、

私の祖母は、信念を持って凛とした生き方を通した女性でした。

 

お菓子のぽたぽた焼きのイメージキャラクタのような、祖母ではありませんでした

(ー_ー)!!

 

私の祖母は、自らの境遇よりも、他の方の事を考えて行動を起こしました。

 

岡原村に戦争未亡人の会を立ち上げて、ご主人を戦争で亡くされた方々と共に力を合わせて困難を乗り切ろうと頑張りました。

 

未亡人となられた方々の子供さんを連れて、色々な場所に出かけたり、皆が寂しい思いをしないように努めました。

 

戦後、10年程経つと、戦争未亡人の会は、訳あって離婚された母子家庭の方々も参加されるようになり、祖母はさらに積極的な活動を行いました。

 

 

 

実は・・

昨年末、祖母の写真や頂いていた額に入った表彰状等を、拭いていると

額の裏に別の表彰状が挟んである事に気が付きました。

 

こちらです・・

 

 

あなたは御夫君亡き後五十年の永きにわたり

家庭を守り幾多の世の苦楽を乗り越えてこられました

 

その間本部母子会に対しましても多大なるご貢献を賜りましたことに表心よりお礼申し上げます

 

ここにその尊い人生の御偉業に対し深い感謝と敬意をささげつつ

表彰いたします

 

 

 

ばあちゃん・・・

この表彰状を大きく飾らなかったところも・・

ばあちゃんらしいな・・

きっと、

自分は当たり前の事をしてきたまで!

 

そう心で言いながら

 

表彰状を頂いた事を嬉しく、ありがたく思いながら

 

額の後ろに挟んだ祖母の姿が目に浮かびました・・

 

 

私・・

ばぁ~っ・・と涙が溢れて

ばあちゃ~ん

と泣いていると・・

 

まるで

泣くな!

と言われたような気がした

次の物を見つけました・・

 

 

ばあちゃん(祖母)の文章が農協の機関紙に掲載された時の切り抜きでした。

 

こちらです

 

 

 

永年勤続部長

表彰に浴して

 

前婦人部長 宮原●●

 

熊本県農協婦人部協議会結成三十周年、本当に喜ばしい事でございます。

 

球磨郡で二人という、永年勤続の栄を頂きましたが、

これも皆様との心のふれあいが有ったればこそと感謝申し上げます。

 

私のような未熟者を永年務めさせて頂きありがとうございました。

 

農協も他部門に力を入れられ、農業生産力も高まり、農家生活の向上に接ながりを見せているようです。

 

婦人部の皆様も、妻として母親として、農協と一体となり、

健康管理に努め、明るい家庭づくりをめざされます様

心から願っております。

 

当村農業繁栄の源として

『農協運動を発展させ、農協の機能を高め、よりよい社会づくりにつとめる』

農協たれ!

と御声援申し上げております。

 

🌸 🌸🌸 🌸

 

 

 

私、初めて読んだのです・・

 

ばあちゃんらしい!

本当に、ばあちゃんらしい文章でした・・

 

優しくて、温かく

そして

強く、凛とした

ばあちゃんらしい文章でした・・

 

 

婦人部の皆様も、妻として母親として、農協と一体となり、

健康管理に努め、明るい家庭づくりをめざされます様

心から願っております。

 

当村農業繁栄の源として

『農協運動を発展させ、農協の機能を高め、よりよい社会づくりにつとめる』


農協たれ!

 

と御声援申し上げております。

 

 

 

祖母が永年勤続を表彰されたのは

昭和56年 の事

 

今のような日本になるとは

祖母も、全く想像すらしていなかった・・

と思います

 

しっかりしろ!

誇り高き日本人であれ!

負けるなひろ〇!

泣きよるどころか!

(泣いてどうするか)

ちゃんと乗り越えられる!

 

祖母から、そう声援されたような気持ちになりました。

 

 

誇り高きとは

日本の神々様を敬い

古からの文化を大切にし

人と人が思い合い

助け合い

優しく、温かく

愛する人を大切にし

誰もが素晴らしいパワーを持っている

 

 

 

ばあちゃん!

負けんばい!

じいちゃんと一緒に

見ててね

 

 

優しさと強さを持った祖母は

私の誇りです

 

私は、激しい部分がありますが

しかし・・心は強くはありません

 

だけど

祖母が見ていてくれています

 

だから

頑張れます

😊

 

 

それから・・(独り言)

このブログ最初に、私は

この波が最後の波になるように祈って

負けんばい!!

と書きましたが

 

この2年程

新型コロナウィルス(武漢ウィルス)感染拡大の波を

ワクチン、治療薬・・全て他国に頼ってきた事は

日本にとって

恥ずべき事

だと思います

 

何の意味を持った先進国なのか・・

 

本来このような事態に

他国をリード出来る能力を持った国ではなかったのか・・

 

能力を持った国の

力を削ぐ行為を行った

一時の某政党元政権の方々は

その事を決して棚上げにするような事がないように

して頂きたいですね・・

 

そう言った行為こそ

恥ずべき事

だと、一主婦は思います

 

 

 

 

 

🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼

 

 

 

ホッとした・・

とか言ってられないので 次のお話を<m(__)m>

 

 

 

 

 

2.黒原山から産出する方解石

 

前回のブログで書いたように

 

大同元年(806年)

大神惟基という方は、わざわざ・・旧宮原村、旧岡本村まで来られて

ご神託に随って

大炊神権現(大炊霧島神社) ※おおい神権現

中嶋大権現(中嶋霧島神宮)

を創建なさったのだろう・・

 

何故?同じく、私の住む旧宮原村の府内(馬場田)には

 

稲積妙見社
※此社ハ當郡妙見勧請ノ最初ナリ

 

球磨郡内において妙見宮が最初に勧請されたのだろう・・

何故?この地が選ばれたのだろう・・・

 

確かに、黒原山からは

銀が採掘され・・(銀)

麓にはベンガラの元となるリモナイトが今でも流れ出していて・・(鉄)

水銀鉱床帯が通っていて・・(丹※砂辰)

金銀含有アンチモニの鉱山もありましたが・・

 

祈り・・を考えた時に

他にも何かあったのでは・・?

 

と考えた時に思い出したのです・・!

 

昭和16年皇紀2600年を記念して発行された球磨郡誌

国立国会図書館デジタルコレクションでもご覧いただけます。

 

コマ番号148 に記載されていました

 

 

 

方解石

岡原村宮麓

 

 

方解石とは ウィキペディアより

 

 

石灰岩の主成分鉱物で、鉱石として扱われる場合は石灰石、石材として扱われる場合は大理石と呼ばれる。

 

変成岩である結晶質石灰岩では、方解石の細かな結晶が、再結晶して大きくなる。純粋なものは透明か白だが、不純物を含んで色のついているものもあり、美しいものは大理石として珍重される。

 

特に無色透明な自形結晶のものは、氷州石(アイスランドスパー)と呼ばれる

 

一般に知られる方解石は、劈開した後のマッチ箱を押しつぶしたような平行六面体の結晶体で、複屈折(透明な方解石を通して向こう側を見ると二重に見える光学的特徴)をおこす鉱物として知られており、純粋なものは光学用に用いられる。

 

欧州では、羅針盤が存在しない時代、この複屈折を利用して曇天、雨天時でも太陽の位置を調べることができるコンパスとして用いられていた

 

以上ウィキペディアより抜粋致しました

 

 

 

球磨郡誌では、

研究者の方が岡原村宮麓の山を歩いていたら、ゴロゴロ転がっていた物を

拾って調べてみたら・・

方解石であった・・

という旨の事が記されていました

 

宮麓の山とは、当時の元「アンチモニ鉱山」があった場所で

そこから、少し上に行くと、戦国時代の「宮原銀山」があります

 

宮原銀山の事を、今では

「金山」(かねやま・かなやま)と地元の人達は呼んでいます

 

 

面白いのは、球磨地方では

鹿を かな

と呼ぶ地名が散在している事です

 

 

例えば、人吉市と鹿児島県大口市、さらに熊本県水俣市との境にほど近い場所は

「鹿目」・・かなめ

 

鹿目の滝 (かなめの滝)がある地区です

 

 

鹿児島県にも

鹿屋市(かのや市)がありますが

あちらも、本来は 鹿 = かな の変化形ではないのか・・

と私は推測しています<m(__)m>

 

 

 

ど素人の推測ですが

 

岡原村宮麓の山を歩いていたら、ゴロゴロ転がっていた物が方解石だった

 

 

つまり、方解石は容易に手に入った事になり

 

もしも、古代、鉱山に精通した人達がこの地に居たのならば・・

 

掘って、きちんとした形状の方解石を手に入れていた可能性もあり・・

 

羅針盤が存在しない時代、

この複屈折を利用して曇天、雨天時でも太陽の位置を調べることができる

コンパスとして用いられていた事と

似たような行為

例えば 祭祀に用いられていた可能性だって

有り得る訳ですね・・

 

 

 

 

3.ここでお願い<m(__)m>

 

私は、前回のブログコメント欄において

おちゃも様に以下のような返信を書かせて頂きました

 

 

私は、思うに
人には古代、今でいう所の「第六感」という物が
必ずあったと考えます

 

今は、退化した人が殆どなのかもしれないけれど
私が書く、ブログを見て下さる方々は
ご自身は他の人には、言わないけれど
ご自身は気が付いていらっしゃらない方もおいでかもしれないけれど
その「感」を受け継がれている方々だと思います

でも、その「感」が退化した人達は・・
おそらく、球磨には興味を抱く事は全く無いでしょう・・

こちらに来る機会が幾らでもあったとしても
おそらく・・盆地内の中心部まで来られて、山々を見渡したり
美しい川を見た事すらない・・
九州中央山地の山中でゾクゾクする感覚を受けた事すらない・・

だから・・意識の中に「球磨」や霧島、南九州を描く事が出来ない・・

こちらに、お越しになる事は出来なくても
球磨に興味を抱いて下さる方々に向けて
私は、発信しているのです😊

 

と・・・

 

球磨からの視点で、古代や先祖を調べて、当ブログの投稿も今回で315項となります

 

ど素人ながら、自分なりに勉強して投稿を続けています。

 

父には、

パソコンや本ばかり見て!

お前は、主婦として家を守る事を最優先にした上で

自分の勉強を空いた時間にする

それが、本来の役目であり

そうじゃなかったら、ご先祖様方はお喜びにならない!

と叱られながら・・です😥

 

 

球磨に興味を抱いて下さる方々に向けて
私は、発信している

 

だから、ど素人の私が気が付いた事で、何か、「大切な事」があった場合

私の書いている事をご紹介して頂く事に対して

私には何の許可も取って頂く必要はありません😊

 

 

 

ただし・・

ど素人のひろっぷがこのように書いている・・

という、事だけは必ず付けて頂きたい

とお願い致します

 

 

 

私も、多くの方々の大切なご研究を引用する場合は、必ず、その事を一番に考えて

〇〇様がお書きになられた□□という書籍に

●●様のサイトに・・と言った書き方を心がけています

 

私のブログをご覧頂いていらっしゃる多くの方々は、

私と同じお考えをお持ちの方々ですのでご紹介頂いたブログ内容を拝見すると、

心から感謝の気持ちでいっぱいになります😊

 

 

父は

大切な研究の引用先を記さない事は

人として最も恥ずべき事だ!

と強く言います

 

 

 

 

ただ・・・

実は気が付いていたのですが

 

あたかも、ご自身が気が付かれていたかのように、

球磨視点で調べなければ決して解らない事を

お書きになられていらっしゃる方が

おられる事を・・

 

その方に、他の方が、あたかも御自身が「その事」を調べていたかのように伝えていらっしゃる可能性もあり得ます

 

 

Amebaブログではありません・・

 

 

非常に残念な事は

球磨視点でなければ解らない事なのに・・

先に書いた「御方」は全く球磨に触れる事はされていない・・

 

 

本当は、こういう事、初めてではありません

過去にも数回ありました

 

ブログ中心ではなく、スレッドを利用させて頂いていた時にも数回・・

 

例えば・・

祖母方の一族「平河氏」が訴訟を行った人物の特定を

スレッドに投稿しながら

半年以上を費やしてようやく解った事があり、

私はご先祖様方、球磨の平河氏一族の方々がお喜びになられると思い、とても嬉しかったのですが・・

 

その事を「ある御方」がすぐに引用されていました・・

その時は、私の調査を引用した・・とはなく

「ネット情報によると」と書かれていました

 

 

何度もこのような悔しい思いをしてきたのですが

 

私は

「天は、ご先祖様方は、ちゃんとご覧になられていらっしゃるのだから」

と心を穏やかに保つようにして参りました

 

そう

天はご覧になられていますよ

 

今回、先に書かせて頂いた事に該当される御方に、この言葉をお伝えしたいと

思います

 

 

それに・・私には妙な感?がありますので😊

すぐに気が付きますし・・

 

私が気が付かなくても、私の周りの方々が気が付いて、

自然と・・私に、ちゃんとお話が回ってまいります。

 

人と人との思い合い

心と心の繋がり

ですね

心から感謝致しております😊

 

 

それに、スレッドにしても、当ブログにしても、アップした時間は自動表示されますので

過去、何年前の何時ど素人ひろっぷ書いた・・という事は、

どなたがご覧になられても

一目瞭然 です

 

 

ど素人のひろっぷが

万が一?とても重要な事に気が付いているようだ・・

とお考えになられた場合は

 

是非とも

ひろっぷが気が付いているようだが・・

とか

ひろっぷ 古代・中世・近世の繋がり 先祖について サイトで

このように調べているようだが・・

 

と言った一言を

ぜひ、添えて頂きたいと

心からお願い申し上げます<m(__)m>

 

 

ど素人と言えども

このブログに書く事は

私にとって、とてもとても大切な研究ですから・・

 

 

 

私は

球磨の女

ですので・・

むむっ!

 

 

本当は、今回ばかりは、私も深く傷つきましたので

祖母のネットワーク 父のネットワーク、親戚一同のネットワークを発動してもらおうか!

(--〆)

とも考えたのですが、それは、そんな事こそイカン!と

やめました。(ー_ー)!!

 

そんな事しても、天もご先祖様もお喜びにはなりません (ー_ー)!!

何のネットワークなんやねん! とツッコミが入りました?(^▽^;)

冗談です😎・・😊

 

 

球磨の女の私は

伊予橘氏から続く・・

相良氏にも続く・・

天皇家の祭祀を司った

天皇家をおささえした

物部の魂を受け継いでいる事を

お忘れなく <m(__)m>

 

 

😊

 

 

本当は、こういう事を書くのは、好きじゃないのです

全く無関係の御方々

申し訳ございませんでした

 

 

今後ともひろっぷをよろしくお願い申し上げます<m(__)m>

😊

 

 

🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼

 

 

 

今回は

1.祖母の言葉・・

2.黒原山から産出する方解石

3.ここでお願い<m(__)m>

 

と言った内容を書かせて頂きました。

 

 

 

次回は・・

福岡県志賀島から出土する免田式土器のお話や・・

 

先代旧事本紀に景行天皇 皇子と記された 熊津彦命 のお話や・・

 

しとんぎ餅のお話や・・

 

あくまでも最近の私の考えですが・・

銅鐸は春秋時代の越人が伝えたもの・・

ならば、日本の縄文時代から続く王統の方々と

シュメールや古ヘブライから戻ってきた人達や(元々は縄文人)

後に来られた呉王家と呉人(こちらの方々は大陸の倭人、元々は縄文人)や

クメール系(元々は縄文人)の連合

例えば球磨人の方々は受け付けませんなぁ~

だけん、埋めさせたのか~独り言・・でした

 

と言った内容を書かせて頂きます(^'^)

 

 

キラッ😎

覚醒したひろっぷをご期待?下さい

😊

 

 

えっ(?_?) 今回のひろっぷしゃん 怖かった・・とのお声が聞こえたような・・

 

大丈夫です😊

 

私には以前から書いているように静と動が共存?しています

たまに、動が働く時もありますが・・

今は、全く心穏やかです😊

(動が働く時には、殆ど球磨弁なのですが、今回は標準語でした。😊・・うん🙄)

 

 

皆様、最後までお読み頂き

ありがとうございました

😊

 

お身体十分に気を付けてお過ごしになられて下さい

 

 

 

私には 球磨の自然が教えてくれます

それは・・

ここに居るから解る事・・

なのだと 思います

 
始まりは 数万年前・・・

😊

 

全ての事に感謝の気持ちを込めて

だんだんなぁ~

そして・・・

負けんば~い!!

 

 

球磨の地より ひろっぷ でした😊

 

 

次回『お見舞い 加えて、「経験した長周期地震動について」 』 に続きます。