前回のブログ

『(再)㊽+1 方解石は凄い!と輿と15枚の合祀になられた神社絵図』より続きます。

 

 

 

2022/02/05 06:52 再投稿

2022/02/04 23:26投稿の拙ブログをご覧頂いた方々へ

 

ご覧頂き ありがとうございました。

 

投稿後、読み返すと誤字が多くありました。お恥ずかしい😔

 

書きたい事一覧?に

⑫上(うえ)谷水薬師近くの山の名は天子山

⑬天子山に隣接する檜山の皇大神宮

⑭谷水薬師の氏子さんは顔に朱を塗ってお祀りを行う・・

を追加致しております<m(__)m>

 

 

ひろっぷ 😊

 

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 

球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
郷土の方々が、そして故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら
ブログを書いています。
さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

 

新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申しあげます

感染なさった方々の一日も早いご回復をお祈り致しております

 

 

 

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最近、理解した事は全て・・

今まで10年以上に渡って調べていた事に、ことごとく繋がっていた事に

気が付いております・・

 

 

毎回、書きたい事が多すぎて、長くなってしまいますので(^▽^;)

この、二日ほど時間が取れましたので、出来るだけ精力的に数項の投稿を行いたい!

と思いました。

 

 

今、私が「書きたい!」と思っている事は (p_-)

 

①鯰さんとしとんぎ餅

②葉山神、若山大神

③岡原村の小豆野とご即位記念 (明治時代)

④瓊瓊杵尊さまの御陵、天火明命さまの御陵地は薩摩川内市

⑤平河氏(良峯氏)の先祖と丹波氏(丹波国造 後裔の方)の姻戚関係

⑥平安時代から球磨にいらした伊勢氏と伊勢本

⑦楓文と相良氏入部の際の随行者の方々

※宗像氏・長氏(長谷部氏) ・ 雑賀氏 他

⑧福岡県志賀島と免田式土器

⑨後漢、霊帝 後裔「桧前(檜前)」氏は湯前にいらした・・

⑩後漢、霊帝 後裔「坂上氏」と相良氏のご先祖様

⑪鎌倉時代初頭の人吉庄預所は坂上氏

⑫上(うえ)谷水薬師近くの山の名は天子山

⑬天子山に隣接する檜山の皇大神宮

⑭谷水薬師の氏子さんは顔に朱を塗ってお祀りを行う・・

等 他・・

 

こういったランナップ?でお届けしたい・・と

思います<m(__)m>

 

 

では、早速

 

第一弾、 

人吉遥拝神社さまとナマズと鹿とひとんぎ餅

 

 

 

音楽と共に、お付き合い下さい<m(__)m>

 

Two Steps From Hell - Evergreen Extended

 

 

 

 

 

 

 

 

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やはり・・

旧暦の元旦 日の出は黒原山の頂上付近から・・

 

そして・・

立春の日の出も

黒原山さんの頂上付近から でした・・

 

日が昇り始めるのは、太陽暦の元旦とは違い、左側から・・

 

ガラス越しに写した訳ではないのですが

太陽の方向から何か・・線が入っていますね・・🌸

 

 

 

しばらくすると・・・

 

 

 

おそらく・・・

黒原山さんは 

球磨の縄文時代の人達にとって

太陽と繋がる崇拝の山であったのでは・・・

と私は考えます・・

 

弥生時代にも続く崇拝だと・・

黒原山から太陽が昇ると・・

新しい年が始まる・・

カレンダーのような役割もあったのでは・・・

 

 

 

 

 

 

 

1.人吉遥拝神社の鯰さん

 

 

最近、物部氏のお話が続きましたので

今回は久米族の方々のトーテムと言われるナマズさんについて書きたいと思います😊

 

 

実は先月、主人と二人で人吉市の遥拝阿蘇神社さまにお参りに伺っておりました😊

 

 

遥拝阿蘇神社さまは

 

旧石器時代から縄文時代早期(8000年前)までの遺跡村山闇谷遺跡』がある

村山台地の中腹にご鎮座の神社さまです。

 

 

参考 遺跡ウォーカー様サイト

村山闇谷遺跡

 

 

時代
旧石器/縄文 
 

所在地
熊本県人吉市上林町村山 

 

遺構概要
map94:集落。集石+炉穴+平地住居。 
 

遺物概要
map94:縄文土器(貝殻条痕文+押型文+塞ノ神式)+垂飾。 

 

遺跡ウォーカー様サイト より 抜粋致しました

 

 

 

 

麻郡神社私考より(元禄12年(1699年)編纂

 

遥拝大明神  人吉林領 村山

祭 九月十九日 祠官 福川 隼人

 

 

 

 

2022年1月6日 遥拝大明神(遥拝阿蘇神社)さまにて 撮影

 

鳥居

 

 

 

 

鳥居の先には石塔が建立されていました

 

 

 

 

 

 

平成十一年六月十五日

 

秋篠宮殿下 御成

 

なまず信仰の調査研究

 

 

 

御成り頂き ありがたき事と感激いたしました

 

 

 

 

 

 

手水舎  水盤

 

 

 

 

ナマズさんが施されています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

拝殿

 

 

あさぎり町、旧球磨郡久米郷宮原村に住まわせて頂いております

宮原〇〇でございます

から始まり

 

新年のご挨拶を申し上げて参りました

 

 

 

拝殿には

ナマズの絵が飾られていました

 

 

 

 

 

御本殿

 

 

 

 

ご由緒書き

 

 

 

八代の遥拝神社とは

 

八代 遥拝神社 正式名称

豊葦原神社

 

であられます

 

 

 

 

御神木

 

 

 

 

 

 

 

御神木の下に、不思議な石を主人が発見致しました・・

 

 

 

 

顔のようにも見えるのですが・・

 

 

 

アップにすると、明らかに人工的な線が入っている事に気が付きました・・

 

 

さらに・・このような大きな石も・・・

 

 

 

中央に人工的な紋様と、その左側に棒のような物を持った人?が見えるのは

気のせいでしょうか・・

 

 

 

 

その上には舟に乗った二人の人物が描かれているように見えるのは

気のせいでしょうか・・・

 

 

 

 

 

私の気のせいかもしれませんが・・・

あまりにも、人工的に見えたので、皆様にご覧頂きたい・・と考えました

 

 

 

 

 

ナマズさんと人工的な線や絵が描かれた石以外に

こちらでは鹿さんも多く見かけました・・

 

 

 

石灯篭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで

人吉市の遥拝阿蘇神社様をご紹介致しました。

 

 

 

 

ナマズさんなのですが・・実は、

ブログ

『(再)球磨には本当に熊がいた!さらに麻斯登登は球磨弁 そして球磨川と対馬』で、

ご研究をご紹介したペンネーム「荒谷 山人」様より、大変貴重なお話を伺っていたのです

 

 

 

 

ペンネーム「荒谷 山人」様は

「宮原さん、球磨、人吉の神社では、遥拝神社以外の複数の神社で

実は、ナマズをお祀りしていますよ!」

と・・お教え下さいました。

 

 

私、凄く驚いたのです・・

殆ど見かけない・・と思っていましたから・・

 

御神体としてお祀りなので、表には出ていないようです・・

 

 

お話を聞いている時に、別のMさん

「家の近くの神社でも、そうですよ!」

と言われて、マタマタびっくり・・!

 

ペンネーム「荒谷 山人」様のご研究の一環として、ナマズの記述が見つかったら教えて下さると、その時、嬉しいお言葉を頂きました😊

 

 

 

 

私は考えます・・・

 

ナマズと地震の信仰は・・・

 

古代、球磨を襲った

巨大地震と関係あるのでは・・・と

 

 

2019年の4月に書いたブログ

古代 自然から教わる事 で、詳しく書かせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

旧球磨郡久米郷を通り、全長22キロにわたる人吉盆地南縁断層

 

画像 地震調査研究推進本部様 サイト 人吉盆地南縁断層より

 

 

 

 

画像 地震調査研究推進本部様 サイト 人吉盆地南縁断層より

 

 

 

 

最終活動期は

7000年~3200年前

 

つまり、縄文時代です

 

 

 

当時の球磨盆地の遺跡からは、瀬戸内地方の船元式土器も出土しています。

 

交流があった・・という証拠ですね

 

 

ナマズと阿蘇地方の関係は

山部氏が関わっているのではないか!?

 

とも考えています

 

全国で、圧倒的に山部姓が多いのは

阿蘇地方です

 

山部氏は久米族ですね・・

 

 

 

それに・・

この地方の風習や祭祀、そして言葉は明らかに、東へ北へと動いているようですから・・

 

 

 

 

2.しとんぎ餅

 

ブログ

(再)最重要 ㊻日国禪(ゆずる)月國ノ狭霧尊 初めてお出ましになられた神様と氏神様

を書いてから、思い出した事が沢山ありました・・

 

 

 

 

 

免田郷土研究会 郷土 第二号 昭和49年2月発行より

 

(岡原村)民族資料 横瀬安住氏談
 

①子供名付けの儀式
嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た
 

②七夕の日に詠う
「七夕さん七夕さん、月に三反、七苧桶、紡いで織らせて下しゃんせ、下しゃんせ)

 

③弓引きの式
子供名付けの悪魔祓いの作法が宮中にては親王、内親王御命名の時 鳴弦の儀とて、弓弦を鳴らす儀式があるが、岡原地区には昔弓引きの式があった

明治四十年頃、横瀬氏はその席に列席したことがある。
 

他、家の棟上げに弓矢をつくり、鬼門、鬼門裏に立てるのも同じ趣旨と思う。

 

 

 

 

※家の棟上げに弓矢をつくり、鬼門、鬼門裏に立てるのも同じ趣旨

 

棟上げの時に紅白のお持ちを撒きますが

球磨地方では、このお餅を

しとんぎ餅 とか ひとんぎ餅

と言います

 

 

私、この地を離れて30年以上、「しとんぎ」とか「ひとんぎ」という言葉

聞いた事が無かったのですが

 

こちらに戻ってすぐに

「ひろ〇ちゃん!今日はひとんぎがあるよ!😊」

とご近所の方が言われた時に凄く懐かしかったのです😊

 

でも・・てっきり

しとんぎ・ひとんぎは球磨弁だ・・

と思い込んでいました

 

 

 

所が・・今年に入り、鏡餅に飾る干し柿の事を書いた後

餅について調べていて、凄く驚いた記述を目にしました。

 

 

餅 ウィキペディアより抜粋致します

 

 

 

 

字と文化
イネ科の植物の果実である穎果は小粒で、1つ1つが籾に包まれ、さらに加熱加工しにくい果皮が包み、これらの除去を大量に行う必要がある。

 

このため、食用とするには技術と手間がかかる。これは穀物を杵などで叩く(「搗(つ)く」という)ことで除くことができる。

 

人類史上、このような加工の初期段階では、コメにおいてもおそらく他のイネ科の穀類と同様に粉状にし、水とともに練ってそのまま食したと考えられる。

 

やがてコメの煮炊きが始まり、さらにコメは小麦や大麦などよりも吸水性がよいことから粒食が発達することになるが、

 

原始の形のコメの食法は神饌として残り、日本ではこれを「粢(しとぎ)」と言った。

 

日本語の「モチ」の語源について、古語の「モチヒ」「モチイヒ」(糯飯、黐飯)から、または望月の形状から、など諸説ある。

 

 

※原始の形のコメの食法は神饌として残り、

日本ではこれを「粢(しとぎ)」と言った。

 

 

日本における習俗
日本においては、古来より神への供物

御饌の『粢(しとぎ)』:はんごろしやきりたんぽ等と同様米粒をつぶした供物から発展した)

として祭りや慶事の際に用いられ・・

 

 

 

 

餅まき ウィキペディアより

 

 

 

餅まき(もちまき)、または餅投げ(もちなげ)は、上棟式などの神事に際して集まった人々へ餅をまく行事である。

 

正式には、散餅の儀、散餅銭の儀という

 

 

概要
災いを払うために行われた神事である散餅の儀(散餅銭の儀)が、江戸時代に庶民に広まったとされる

 

熊本県、大分県では「しとぎ」、宮崎県では「せんぐまき」と呼ばれる。

 

 

 

 

注釈 “ひとぎの意味や使い方”. Weblio辞書.より

 

 

 

 

ひとぎ
[意]棟上式で集まった人に屋根から巻く餅や菓子。

本来は神前に供える米で作った餅を言う。粢(しとぎ)

 

 

 

 

あああああ~っ!!

\(◎o◎)/!

 

 

しとんぎ餅・ひとんぎ餅

 

球磨弁・・😊

ではなく

(ー_ー)!!

 

古語でした!

 

 

 

マタマタ・・このパターンですね(p_-)

 

以前、ブログで書いたように・・

 

苧麻を「ヲ」と呼ぶのも・・

 

球磨弁・・😊

ではなく

(ー_ー)!!

 

古語でした!

 

 

再投稿㊱後編-5 神の川と苧麻は「ヲ」と呼ぶ球磨人と球磨紀伊山地

 

 

 

 

 

さらに(p_-)

 

鯰と鮎と球磨弁と・・卵生伝説・・

で書いたように・・

 

 

 

 

※アユの語源は、

秋の産卵期に川を下ることから「アユル」(落ちるの意)に由来するとの説

 

 

球磨弁

落ちる は アユル(アユッ)

落ちない は アエン

 

 

アユルは

球磨弁・・😊

ではなく

(ー_ー)!!

 

古語でした!

 

 

他にも、数え切れない程 このパターン(シトトも他多数・・)

球磨弁 = 古語

 

をブログ内でご紹介して参りましたが

しとんぎ餅・ひとんぎ餅 = 古語

は、さすがに ビックリです・・

 

 

ブログ『(再)球磨には本当に熊がいた!さらに麻斯登登は球磨弁 そして球磨川と対馬

より

 

 

 

球磨郡誌 663ページ

 

小野高尚の夏山雑談の巻之五には「西国邉土には古き詞遺れり」という一項があって

「薩摩国、肥後国球磨郡などの人の言葉は

多くは、うつぼ、竹取、源氏物語、清女枕草子、四の鑑、大和物語等 にある言葉なり・・・ 中略

それは・・  古きことば猶のことたり」

という記事があるさうである。

 

 

 

こういう現象?を、学者様かたは

閉鎖された土地だから古語が残っている・・

 

とかおっしゃる方もいらっしゃるようですが・・

 

私は、そういう事ではない!

と思います

 

全国どこでも、同じ言葉を使っていたのならば

おそらく・・完全に言葉が消滅する

という事はありえない

 

と考えるからです

 

 

以前、書きましたが「なおらい」も球磨人、特に上球磨地方では普通に使っています・・

 

 

こう書いて、ようやく気が付いたのですが

 

球磨弁 = 古語

のパターンは、

多くが祭祀に関わる言葉

 

 

・・・気が付いてしまいました

 

 

 

ここまで、お読み頂いた皆様方

 

ナマズと地震の関係

信仰の関係

これらも、東へ北へと移動していると考える事が

不思議ではない

とお思いになられませんか・・?

 

 

 

不勉強な私が書くのは僭越だと思いますが

 

この項で書いた大儀を

 

おそらく

 

民俗学者 柳田國男氏は

 

お気づきでいらしたのだと

思います・・

 

 

 

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今回は

1.人吉遥拝神社の鯰さん

2.しとんぎ餅

 

という内容を書かせて頂きました。

 

 

 

皆様、最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

お身体十分に気を付けてお過ごしになられて下さい。

 

 

 

感謝を込めて

だんだんなぁ~😊

 

そして・・

負けんば~い!!

 

 

 

球磨の地より ひろっぷでした😊

 

次回『51.皇孫・天津日高彦火邇邇杵尊 天火明命 火闌降命 御陵について』に続きます