前回のブログ『(再)51.天津日高彦火邇邇杵尊 天火明命 火闌降命 御陵について』より
続きます<m(__)m>
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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。
球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
郷土の方々が、そして故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら
ブログを書いています。
さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。
新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申しあげます
感染なさった方々の一日も早いご回復をお祈り致しております
疫病退散
心より祈ります
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皆様
私、おそらく、もうすぐ春の思考休憩期間?に入りますから・・
最近、ブログの更新が早いですので(^▽^;)
新たに覚醒?したあとのひろっぷしゃんのブログ🤔
未だ、お読み頂いていらっしゃらない方は、お暇な時にで結構ですので
以下のブログ、ご覧頂ければありがたいです😊
※おそらく、ご覧頂けてないと、
私が何をお伝えしようとしているのかサッパリお解りにならないと思います・・(^▽^;) <m(__)m>
(再)最重要 ㊻日国禪(ゆずる)月國ノ狭霧尊 初めてお出ましになられた神様と氏神様
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12720646967.html
再々投稿 ㊼祖母の言葉と方解石とお願い・・
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12722091930.html
㊽家の親戚の姓と弓の儀式と雲平さんと
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12722976278.html
(再)㊽+1 方解石は凄い!と輿と15枚の合祀になられた神社絵図
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12723936040.html
(再)㊿人吉遥拝神社さまとナマズと鹿とひとんぎ餅
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12724964787.html
(再)51.天津日高彦火邇邇杵尊 天火明命 火闌降命 御陵について
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12725308342.html
では、早速 (p_-)
今回のタイトルは『大神惟基公、再興の神社さまと創立の神社さまと免田式土器』
音楽と共に、お付き合い下さい😊
三日月の形の盆地からお伝えしていますので
今回の曲は久しぶりに
Moon - Yoko Kanno
1.天岩戸神社中興の大神惟基公
ブログ
(再)最重要 ㊻日国禪(ゆずる)月國ノ狭霧尊 初めてお出ましになられた神様と氏神様
でも書きましたように・・・
黒原山の麓、旧宮原村と旧岡本村に其々ご鎮座であった神社
岡本村の大炊神権現(大炊霧島神社)と※大炊神山(おおい神山)ご鎮座
宮原村の中嶋大権現(中嶋霧島神宮)は
大神惟基公が、ご神託に随って創立した二社となります
ご神託に随って
神託とは神のおつげ。神が人や物などを通してその意志を知らせること
つまり
大神惟基という御方は
神のおつげに随って
旧岡本村の大炊神権現(大炊霧島神社)
旧宮原村の中嶋大権現(中嶋霧島神宮)
創立した
という事になります
大神惟基 ウィキペディアをご覧頂くとお解り頂けると思いますが・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E6%83%9F%E5%9F%BA
熊本県人吉市にある青井阿蘇神社は、大同元年(806年)、大神惟基が阿蘇神社の祭神12柱のうち3柱を分祀して創建したと伝えられる。
宮崎県西臼杵郡高千穂町にある天岩戸神社は、社伝によると、弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興されたとされる。
天岩戸神社 おそらく、ご存知でない御方は殆どいらっしゃらないと思います・・
ウィキペディアより 抜粋させて頂きます
天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社。
岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。旧社格は村社で、神社本庁の別表神社。
御祭神
西本宮
大日孁尊(おおひるめのみこと)=天照大神の別名。
岩戸川対岸の断崖中腹にある「天岩戸」と呼ばれる岩窟(跡)を神体とし、この岩窟は日本神話に登場する天岩屋であると伝える。
また、
同じく西本宮の御旅所には
配祀神である天鈿女命・手力男命・大年神・素盞嗚尊・日子穗穗手見命・豊玉毘売命、
菅原道真公の7柱を祀っている。
東本宮
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)=天照大神の別名で皇祖神であることを示す名。
かつてイザナギノミコト・イザナミノミコトを祀っていたとする史料もある。
社殿背後の御神水の側には「大神宮」の祠がある。
社伝によれば、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源であり、
弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興された。
ウィキペディアより お写真をお借り致しました<m(__)m>
皆様、お解り頂けたと思います
天岩戸神社を再興なされた方が大神惟基公
その大神惟基公が創立なさった神社が
青井阿蘇神社
さらに
大神惟基公が、ご神託に随って創立した二社が
旧岡本村の大炊神権現(大炊霧島神社)
旧宮原村の中嶋大権現(中嶋霧島神宮)
となるのです・・・
不敬な事を書きますがお許し下さい<m(__)m>
天岩戸神社
弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興された。
※弘仁3年(812年)
青井阿蘇神社、大炊神権現(大炊霧島神社)、中嶋大権現(中嶋霧島神宮)の創立は
※大同元年(806年)
球磨の神社創立の方が・・
古い・・のですよね・・・
さらに・・
大炊神権現(大炊霧島神社)、中嶋大権現(中嶋霧島神宮)の創立は
ウィキペディアには記されていません。
しかし・・
私の拙いブログをご覧下さっている皆様方は御存じの事・・
だからこそ
私は、皆様方にご縁を感じているのであります
😊
学者さまが、ご存知ない事を
皆様方と私は、共有している
訳です ニコッ 😊
前回のブログ初頭でも書きましたように
私は、おそらく、今まで、どの学者様もお書きになられた事がない
「この地」に居るから解る事、知る事が出来る事を書いているのだと思います。
ですから、その事を「知って頂く」皆様方には
とても深いご縁を感じております 😊
知りたいという方々だけに、
お教えしてあげなさい・・
と言われているような気がしているのです・・
前回のブログ初頭に書いた事を読まれて
妙な事を書くな~🤔
とお思いになられた御方もいらっしゃったかと思いますが
でも・・
妙な事?ではないでしょう😊
そして・・・
ブログ
(再)㊽+1 方解石は凄い!と輿と15枚の合祀になられた神社絵図 でご紹介した
15枚の絵図がいかに貴重な絵図であったかを、あらためて皆様方にお伝え出来て
安堵致しました😊
ごくごく一部・・・
中嶋大権現
切畑大明神
ここからは曲を変えます😊 ※moon お好きな方はそのままで・・
Fearless Motivation - The Universe In Me - Song Mix (Epic Music)
2.糸島と志賀島で出土した免田式土器
ここからは、神社さまのお話ではなく
考古学的なお話をさせて頂きます
突然 現実的な・・とのお声が何処から聞こえてきたような・・🙄
😊
私には、つい最近のような気がする2000年~1700年程前のお話です😊
ヤバイ😱 でも ここに居ると数万年前からの人の営みが残っているので仕方ありません・・
免田式土器の分布について、2018年10月に書いた過去ブログ
球磨弁とヘブライ語 でも触れました😊
※なんだぁ~!このブログタイトルは~!!とのお声が何処から・・
まあ・・このブログを書いて3年以上経過して、私はより進化?致しましたが・・(p_-)
(^▽^;)
戻って来られている・・(p_-)
免田式土器は九州北部では出土例が少ないと言われていますが、
その少ない出土遺跡とは
九州北部 免田式土器出土遺跡
福岡県
三雲遺跡 (糸島市三雲 細石神社の裏手)
安国寺遺跡(久留米市)
亀の甲遺跡(八女市亀甲)
甘木山遺跡(大牟田市甘木) 他
佐賀県
二塚山遺跡(三養基郡上峰町)
みやき遺跡(武雄市橘町綿の木)
他、長崎県内、大分県内、さらには沖縄県でも免田式土器は出土していました。
福岡県・・
三雲遺跡
糸島市三雲 細石神社の裏手
しかし😊
昨年、関西外国語大学の佐古 和枝教授の講演会で伺ったお話の中で
「最近の調査で、
志賀島の遺跡発掘現場で免田式土器が出土したそうです」
「交流の証しですね😊」
とのお言葉がありました。
やった\(^o^)/ 嬉しい・・
私は、その場で思わず拍手を致しました (^▽^;)
今後の研究発表を心待ちに致しております😊
でっ・・
ふと・・今までは出土していなかったのかな🙄と思いまして・・
志賀島 免田式土器
とキーワードを基に検索してみたところ・・・
ありました(^o^)/
\(◎o◎)/!
1994年 福岡市教育委員会発行
奈多砂丘B遺跡Ⅰ
福岡市埋蔵文化財報告書 第360集
にしっかりと記されておりました。
\(^o^)/
皆様方も
志賀島 免田式土器
とキーワードを基に検索して頂くと、リストに表示されますので、
ダウンロードしてご覧になれますよ😊
奈多砂丘B遺跡Ⅰ
福岡市埋蔵文化財報告書 第360集
14ページより
8はやや薄手の土器
で、小片ではあるが外面に重弧文を施す。
該期の北部九州の土器には類例が求められない。
中部九州の免田式系の壷形土器片の可能性がある。
以上の4b層土器群は弥生時代後期後半~終末に位置付けられる
以上
奈多砂丘B遺跡Ⅰ 福岡市埋蔵文化財報告書 第360集
14ページより 抜粋致しました。
※該期の北部九州の土器には類例が求められない。
こちらの調査報告書は1994年発行ですので、その後、先に書いた
例えば
福岡県
三雲遺跡 (糸島市三雲 細石神社の裏手)
安国寺遺跡(久留米市)
亀の甲遺跡(八女市亀甲)
甘木山遺跡(大牟田市甘木)
他の遺跡から免田式土器が出土したようですね😊
奈多砂丘と言えば
志式神社 ご鎮座地なのですね
志式神社さま ひもろぎ逍遥サイト様がご紹介でいらっしゃいました😊
拝見すると
御祭神
天火明命(ホアカリの神) 火闌降命(ホスセリの神) 豊玉姫
十域別神 雅武王 葉山姫神
でいらっしゃいました
前回のブログを書いて良かった・・
ふと そう思いました😊
が・・しかし・・・
同時に背中に封印されたお経の辺りがゾクゾクっと致しました・・・
私、今回、免田式土器の事を「書きたい事一覧」の中から
(先日のブログをご覧の方しかお解りになりませんね・・)
先に書こう!と、ふと思い立って書いたのですが
先にとは、
私の住む旧岡原村(現あさぎり町岡原)にご鎮座の
葉山神さま、若山大神さま
のお話より先に・・という意味で
さらに、
志式神社さまについては、このブログを書きながら、地図を見て・・
奈多砂丘に志式神社さまご鎮座であられる事に気が付いたので、気になって調べてみたのであります・・・
皆様、お気づきでしょうか・・
葉山姫神
あああああああっ・・・
何と言う事でしょうか・・
本当に驚いています・・
葉山神さま、若山大神さまをお祀りの神社さまは全国には非常に少ないと言うのに・・
ただ・・次回詳しく書かせて頂きますが
葉山神さまは、古事記にも記されておりますが
大きな山の麓にお祀りの「麓」の神様でいらっしゃいます
何故?山も無い、麓でもない、砂丘にお祀りであられるのか・・
私、今回、おそらく、私の住む地に繋がる
何かに気が付いたのでは・・
そういう予感がしています
次回、詳しく書きますので、今は、皆様方にお願いがございます<m(__)m>
葉山神さま
山がお付きになられるからと言って
単純なるご推測により(失礼を承知で申し訳ございませんが)
大山津見神さま、大山咋神さま
とお考えになられる事はお控え頂きたいと願います
神々様に
失礼にあたりますので
よろしくお願い申し上げます<m(__)m>
しかし・・
福岡県内での免田式土器出土地・・
三雲遺跡
糸島市三雲 細石神社の裏手
奈多砂丘B遺跡Ⅰ
志式神社 ご鎮座地
ピンポイントだな・・と思います
一番大切な事
それは
免田式土器は
祭祀に用いられた土器
だからです・・
最近、志賀島の何れかの遺跡から出土した
免田式土器の調査発表
球磨の南九州の
古代の尊い方々の
御霊
心待ちになさっていらっしゃる事でしょう・・
😐
私も楽しみに致しております
😊
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今回は
1.天岩戸神社中興の大神惟基公
2.糸島と志賀島で出土した免田式土器
という内容を書かせて頂きました😊
唐突ですが・・
球磨弁で
ぎゃん寒かれば
エライきつかにゃ~
うん?ピクッとなさった地域の方いらっしゃいましたか?
(p_-)
「ことくそ」 「ことふと」
うん?ピクッとなさった地域の方いらっしゃいましたか?
(p_-)
ちなみに「ことくそ」は古語です😊
こういうお話や「ちょっぽかすけ」の「ちょっぽ」解読成功(^o^)/
についても今後書かせて頂きたい!と考えております
😊
皆様、最後までご覧頂きありがとうございました。
お身体十分に気を付けてお過ごしになられて下さい。
感謝を込めて
だんだんなぁ~😊
そして・・
負けんば~い!!
球磨の地より ひろっぷでした😊
次回『53.地元にお祀りの葉山神さま.若山大神さまと球磨の地名』に続きます