前回のブログ『再53.地元にお祀りの葉山神さま.若山大神さまと球磨の地名』より続きます

 

 

 

2022/02/16 19:20 再投稿

本日07:37に投稿した拙ブログをすでにご覧頂いた方々へ

 

お読み頂き ありがとうございました。

 

 

以下、

4.チョッポカスケのチョッポ

 先祖の御霊を千代に保て・・

の文章内に追記を致しております <m(__)m>

 

追記

橘姓宮原氏の先祖、橘公員の母であり橘公業の後妻となられた御方が

梶原平次兵衛尉平景高女

梶原景時公の孫娘でいらっしゃいます

 

梶原景時公

鎌倉殿の13人で中村獅童さんが演じていらっしゃいますね😊

 

追記でした <m(__)m>

 

🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼

 

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 


全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!
と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

新型コロナウィルス(武漢ウィルス)により
犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申しあげます

感染なさった方々の一日も早いご回復をお祈り致しております

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

皆様😊

スナップエンドウの収穫の季節となりました。

硬くなった身体を軽い体操でほぐして、農作業のお手伝いをさせて頂きます。

(^o^)/

 

 

最近・・

ひと月以上、精力的にブログを書いて参りました😊

 

おそらく、今後、更新スピードが遅くなると思います。

 

前回も書かせて頂きましたが

 

新たに覚醒?したあとのひろっぷしゃんのブログ🤔

未だ、お読み頂いていらっしゃらない方は、お暇な時にで結構ですので

以下のブログ、ご覧頂ければありがたいです😊

 

※おそらく、ご覧頂けてないと、

私が何をお伝えしようとしているのかサッパリお解りにならないと思います・・(^▽^;)  <m(__)m>

 

 

(再)最重要 ㊻日国禪(ゆずる)月國ノ狭霧尊 初めてお出ましになられた神様と氏神様

 

 

再々投稿 ㊼祖母の言葉と方解石とお願い・・

 

 

㊽家の親戚の姓と弓の儀式と雲平さんと

 

 

(再)㊽+1 方解石は凄い!と輿と15枚の合祀になられた神社絵図

 

 

(再)㊿人吉遥拝神社さまとナマズと鹿とひとんぎ餅

 

 

(再)51.天津日高彦火邇邇杵尊 天火明命 火闌降命 御陵について

 

53.地元にお祀りの葉山神さま.若山大神さまと球磨の地名

 

 

 

今回のタイトルは

先祖の御霊を千代に保て・チョッポカスケは木兎・コーヅードイが梟・橘は木花

 

全て、ダビンチコードならぬ(ー_ー)!!

球磨コード?であります(p_-)

 

 

前回、前々回、と ご紹介した

免田式土器出土地 奈多砂丘
志式神社 ご鎮座
 

御祭神
天火明命(ホアカリの神) 火闌降命(ホスセリの神) 豊玉姫
十域別神 雅武王 葉山姫神

 

 

葉山姫神さまが一体どなたで、何時の時代の御方なのか・・

私、存じ上げております😊

(今は、詳しく書きませんが・・)

 

だから、

ひろっぷは何も知らない・・

ナンテお考えにならないで下さい😥

 

葉山・・も、ダビンチコードならぬ

球磨コードでありました。

 

球磨の地名と御繋がりの神々さまのお話は前回をお読み頂いた方々ならお解りですよね😊

 

 

さらに<m(__)m>

私、ブログ『㊽家の親戚の姓と弓の儀式と雲平さんと』の中で

橘一族に繋がる、親戚の姓をもう一軒、書き忘れていました😥

「森家」です

 

森家から、私の曾祖母の実家「新堀家」に嫁いでこられた方がいらっしゃいました。

「新堀家」は、江戸時代中期に、橘姓「宮原氏」の橘公行(宮原金兵衛)という方が養子に入り継いでいらっしゃいますので、旧球磨郡久米郷宮原村の新堀家は橘の一族でもあられます。

 

親戚の森家は、江戸時代まで、肥後細川藩の藩士でいらっしゃったお家です。

 

この「森家」球磨コードでいらっしゃいました。

(後で登場なさいます(p_-))

 

 

音楽と共にお付き合い下さい<m(__)m>

今回の内容にピッタリと合うのは、やはり「あの曲」かな・・・

 

Thomas Bergersen - Rada Extended

 

 

 

 

 

 

1.チョッポカスケは木兎でした

私、勘違いをしておりました。皆様、ごめんなさい😥

 

 

球磨弁は古語 (p_-)

と言う事で、所有する昭和16年発行球磨郡誌に記された

球磨弁の解説を読んでいて気が付きました。

 

国立国会図書館デジタルコレクション でも 球磨郡誌は読む事が出来ます。

 

球磨郡誌 コマ番号389です

 

 

 

 

球磨郡誌より 球磨弁 動物・植物

 

こちらをご覧下さい

 

 

 

木兎

ヨシカ

チョッポカスケー

 

(?_?)

ああああ~っ!!

\(◎o◎)/!

 

きゃ~😱

 

チョッポカスケは木兎

つまり

ミミズクでした

 

\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

父に直ぐ伝えると

「梟も木兎も一緒じゃろ 😤 」

と言うので

 

違うよ~!!

とウィキペディアに掲載の写真を見せたのです・・

 

木兎(ミミズク) ウィキペディアより

 

 

画像 ウィキペディアより

Bubo bubo winter 1.jpg

 

フクロウ科のうち羽角(うかく、いわゆる「耳」)がある種の総称。古名はツク。ズクとも。

羽角とは、哺乳類の耳(耳介)のように突出した羽毛である。俗にと呼ばれるが、ミミズクに限らず鳥類に耳介はない。

 

 

 

梟 ウィキペディアより


 

画像 ウィキペディアより

フクロウ

 

 

父も納得😌

梟には耳が無い

 

羽角、哺乳類の耳のようなものがあるのが

木兎(ミミズク)

 

 

木兎と梟は似ている・・

しかし

耳があるか無いのか・・

で違ってくる・・

 

 

私、上記の4行

凄く重要な気がしてきました

 

 

木兎と梟のウィキペディアの記述から、「その先に見えるもの」に気が付いてはいるのですが

その事は後日、ご紹介致します。

 

さらに・・

 

木兎

ヨシカ

チョッポカスケー

 

ヨシカ ・・??

こちらも 気になるワードです

 

ヨシカ・・ヲシカ?

 

 

独り言・・

ようやく・・紀氏に繋がりました・・

 

 

 

 

2.梟はコーヅードイ

 

先にご紹介した球磨郡誌 記載の

球磨弁 動物・植物

 

 

.梟 は

コーヅードイ

 

(?_?) (?_?)

ますます、何語?か解らなくなって参りました・・

 

ドイ は、鳥 だろうとは推測出来るのですが・・

コーヅー

(?_?)

 

独り言

大陸系の発音みたい・・😱

きゃ~!! 😱

 

しかし(p_-)

もしかしたら・・

こうず

かもしれません😌

日本の古語らしい 😊

 

 

先に、大陸系の発音みたい と感じた事で、私、物凄い発見を致しました

\(^o^)/

 

梟 ウィキペディアの記述にもあったのですが

梟帥(きょうすい)」や「梟雄 (きょうゆう)」は荒々しい人、盗賊の頭目を意味する(『日本書紀』は朝廷に従わない地域の長を意味する「タケル」に「梟帥」の字をあてている)

 

とあるのですが・・・

私、

熊襲梟帥 の 梟帥

 

中国語では、どのような意味になるのか、突然興味が湧いて、

翻訳ソフトを使って調べてみたのです

 

 

 

結果は・・

 

日本語

梟帥

 

中国語で翻訳すると・・

梟は格好良いです

 

となりました!!

えええっっ!!

\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

うん??もしやもしや・・

(p_-)

 

私達は、過去数百年に渡る、歴代の研究家の方々の解釈

つまり、言葉のマジックに先入観を持たされてきたのでは・・・

 

単純に考えた方が答えが近くなりそうです・・

 

梟帥 = 梟は格好良いです

 

なのでありました(p_-)

 

 

 

梟さんの声

うん?何か言ったかな?キラッ😎 

 

 

 

3.橘は花の木

 

ブログ『㊿人吉遥拝神社さまとナマズと鹿とひとんぎ餅』でも書きました。

そう・・度々書き続けたように

球磨弁は古語

が多く残っています

 

先にご紹介した球磨郡誌 記載の
球磨弁 動物・植物

 

その球磨弁において・・

 

橘は木花

でした

 

\(◎o◎)/!

 

 

この事は全く知りませんでした・・・

 

おそらく・・

とてつもなく重要な事

なのだと直感いたしております

 

球磨弁で

橘は花の木

つまり

木の花

なのです・・

 

 

橘の香しい花と香しい葉

その橘(木の花)を象徴なさるような、美しい御方が古代いらっしゃったのでしょう・・

🙂

 

 

そう・・

あの・・海外の書物には

倭には橘がある・・と記されていますので・・

 

ウィキペディアより 橘の花

 

 

 

 

 

 

4.チョッポカスケのチョッポ

 先祖の御霊を千代に保て・・

 

 

ブログ『(再)51.天津日高彦火邇邇杵尊 天火明命 火闌降命 御陵について』でも書きました

 

 

 

天火明命さまの御陵

 

川合陵神社(かわあいのみささぎじんじゃ)
祭神:天火明命(邇邇杵尊の兄弟神、もしくは皇子神)
 

神亀山ではなく五代町の冠山の麓に鎮座。

御陵殿(みささぎどん)とも称された。
 

はじめ社は、冠山の山上にあったといわれているが、その後陵が崩れたため冠山の麓に移したとされる。  
 

社殿のすぐ西側に祭神の墳墓と伝わるチョッポ岡という小丘がある。

 

 

チョッポ岡・・

 

球磨弁でチョッポカスケは 木兎

(私は梟だと書いておりました。申し訳ございません <m(__)m> )

 

チョッポってどういう意味だろう・・・

 

何年も疑問でした

 

しかし

チョッポ岡

を存じ上げてからは、只の方言ではない!

と強く感じておりました。

 

最近、あらためて調べた所、以前はネットに公開されていなかった情報が多数見つかったのです。

 

おちょぽさま

 

今から書かせて頂く事、おそらく多くの方々が驚かれる・・と思います <m(__)m>

 

千代保稲荷神社  ウィキペディアより

 

 

千代保稲荷神社(ちよほいなりじんじゃ)は、岐阜県海津市平田町三郷1980にある稲荷神社である。

 

地元の岐阜県西濃地方や愛知県尾張地方などではお千代保稲荷(おちょぼいなり)と呼ばれることが多く、通称「おちょぼさん」として親しまれている。

 

由来
平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ

義家より「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け賜わったのが始まりと伝えられる。千代保稲荷神社の名も、この言葉からきている。

後に室町時代の文明年間(1469年 - 1486年)、子孫の森八海がこの地に祖神を祀ったのが開祖となり、現在は19代目という。

 

 

主祭神    大祖大神、稲荷大神、祖神

 

 

以上ウィキペディアより抜粋して転記致しました。

 

 

平安時代、源八幡太郎義家の六男の義隆が分家する際、森の姓をもらいうけ、義家より「先祖の御霊を千代に保て」と祖神と共に宝剣と義家の肖像画を受け賜わったのが始まりと伝えられる。千代保稲荷神社の名も、この言葉からきている。

 

 

源八幡太郎義家の六男の義隆

若槻頼隆の次男 森氏の祖

森頼定公の妻は

橘公業の娘

 

 

宮原氏系図より(氷川宮原城の宮原公忠公 後裔の方から頂きました)

 

橘公業の娘

女子 将軍家官女号助局 後為伊豆守源頼定室

 

とあります


※薬上助局。 源頼定(森氏の祖)の室

 

 

薬上助局は

橘公業より、球磨郡久米郷を譲られた、橘公員の姉でいらっしゃいます

橘公員、この方が橘姓宮原氏の祖でいらっしゃいます

 

追記

橘姓宮原氏の先祖、橘公員の母であり橘公業の後妻となられた御方が

梶原平次兵衛尉平景高女

梶原景時公の孫娘でいらっしゃいます

追記でした<m(__)m>

 

 

おちょぽさま

千代保稲荷神社 さまと

橘公業、後裔「宮原の一族」は

繋がっていたのです・・

 

 

 

先祖の御霊を千代に保て

すなわち

チョッポ

 

 

私は・・

間違いない

と思います

 

森氏の家紋は

家紋

 

鶴の丸です・・

 

 

おそらく石見地方の方々は、さらに驚かれた事と思います・・・

 

 

チョッポ ちょぽ・・

おそらく・・遠い遠い古代からの

暗号・・?

 

この地に住む人しか解らない

コードのような気がしてなりません

 

 

チョッポ岡

先祖の御霊を千代に保つ岡

 

なのでは・・

 

と推測致しております

 

 

池田氏と森氏は戦国時代を通して姻戚関係にあられた事は

10年程前から存じ上げておりました

 

紀姓「池田氏」を御継になられていらしたのは

伊予橘氏 楠正成公の御子でいらっしゃる御方

 

その池田氏から養子を迎えて

人吉相良家は系を御繋げになられていらっしゃいます

 

 

 

私のメインブログタイトル

ひろっぷ 古代・中世・近世の繋がり 先祖について

そして・・

球磨の古代

 

そのままだと思います

 

 

チョッポカスケは

私達に残された

古代コード・・

では・・

 

 

最初に書きましたが、家の親戚には

森家

があります・・

 

さらに、

戦国時代の森氏

森可行 森可政 森 可隆、森長可 という御方々

 

通字は「可」ですね

 

実は、江戸時代の相良藩士 久保田氏なのですが・・

久保田 可圓

久保田 可順

という方がいらっしゃるのです・・

 

何故?この方々の通字は 「可」 なのか・・

 

 

何度も書いておりますが

私の曾祖父は、うちの宮原家と姻戚関係にあった「久保田家」から、元服の年に

宮原家を継ぐ為に養子に入っているのですよね・・

 

 

ダビンチコードのような

球磨コード・古代コードが残る地に、住む人達には

何か共通の「点と線」があるような気がしているのです・・

 

 

チョッポカスケ

チョッポカスケー

 

カスケ― はカラスじゃないのかな・・・

 

 

木兎 と 梟 と カラス

橘は木花 (木の花)

 

 

球磨郡誌から見つけた

球磨コード・・・・

 

でした・・・

 

 

先祖の御霊を千代に保て・・

 

 

 

🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼🍀🌼

 

 

 

今回は

1.チョッポカスケは木兎でした

2.梟はコーヅードイ

3.橘は木花

4.チョッポカスケのチョッポ

 先祖の御霊を千代に保て・・

 

というお話を書かせて頂きました。

 

 

 

皆様、最後までご覧頂きありがとうございました。

 

お身体十分に気を付けてお過ごしになられて下さい。

 

 

 

 

感謝を込めて

だんだんなぁ~😊

 

そして・・

負けんば~い!!

 

 

さあ~

今からスナップエンドウの収穫!

お手伝いして参ります(^o^)/

 

山の麓を司る神 はやまと神の地

より ひろっぷでした😊

 

次回 番外編 <m(__)m>

「久しぶりのポンプの発作 風邪は万病のもと」 に続きます