大阪避難をきっかけに、被災者ながらスタッフの1人として3月までお手伝いさせていただいておりました。

  4月に宮城に戻り新たな生活を始めた私が、今の被災地の状況を色んな視点から皆様にお伝えできればと思います。


  第1回目は「子供の心の支援について」です。

 

 私達が住んでいた町は、震災の津波によって9割の家が流されました。震災当日、小学生は丁度下校時刻にさしかかったところで、一部の児童は既に学校を出ていましたが、多くは校内に留まっていました。逆に中学生は卒業式が終わった後で、自宅に留まっていた子も多かったようです。また幼稚園も卒園式でしたが、午前中にも大きな地震があったため、午後の予定を早めてその時間はほとんどの人が自宅にいたとの事でした。そんな中、あの地震と津波が起こり、残念ながら尊い命を落とした子供達は、中学生14名、小学生1名、幼稚園児4名で、保育園児は0名でした。

 また残された多くの子供は命からがら津波から逃れ、主に小中学校に避難したようですが、住み慣れた町が姿を変えていく様子をなすすべもなくみつめるしかありませんでした。彼らは明かりはおろか暖一つない時期はずれの雪が降る中、いつ救助が来るかも分からないまま恐怖の一夜を明かしたのです。

 

 我が家は避難所で一週間程過ごし、その後主人を宮城に残し、私と子供達で大阪に来ましたが、特に小4になる息子は来て半月程は夜になると急にしくしく泣き出すことがありました。その後は収まったので安心していたら、夏にフラッシュバック、先月は夜中に突然泣き出したり、何やら叫んだと思ったら意味不明の行動に出る、ということが何度かありました。真ん中の娘(小1)も、すぐ泣くようになって手がかかるようになりました。

 また地元の子供達も、震災後津波ごっこ(津波の様子を再現したりする)などをする子が結構いました。ただこれは決して悪いものではなく、子供がその辛い体験を乗り越えようとする自己防衛の一つだそうです。ちなみに娘もある時何の前触れもなく、津波の絵を描いて驚いたことがあります。


 そんな未曾有の体験から1年経ち、各地では子供の心のケアに対するさまざまな取り組みが行われています。わが名取市でも、NPO団体による心のケアワークショップが昨年の6月から行われていると聞き、早速お話を聞きに行ってきました。

 現在は小2~小6の50名程の児童が週1回市内5ヶ所の会場に集まり、心療内科医や心理カウンセラーと一緒に、絵画や粘土細工、スポーツ、音楽、演劇等を通じて、PTSDの予防ケア及び自信の構築を行っているとのことでした。これまでの活動としては、半年かけて自分達の街のジオラマ作りを行い、市内各地で展示会が行われたみたいです。ちなみに今月は、「心の声を音楽にして、自分で作った楽器で演奏してみよう」だそうです。 

 息子は来週から参加する予定ですので、また何か変化があったらお伝えしたいと思います。



 ちなみに先日は、息子が震災前まで通っていた書道教室に顔を出してみました。仮設住宅の集会所を借りて、10名程の子供達が熱心に練習していました。9割の子が息子の元々いた小学校の子なので、息子も久々の再会に羽目をはずしっ放しでした。

今は住まいの地区の学校に通っているので、普段彼らと一緒に遊ぶ事はありませんが、こうして週1回会えるのも息子にとっては楽しみなのかなと思っています。




 大阪は桜が満開で、私が住んでいた住宅の裏の公園では、毎日花見の人たちの声が響いているとのこと。こちらはまだ風が冷たくもう暫くの辛抱ですが、確実に春の訪れを感じる今日この頃です。