今日は、仕事だったのですが、2時46分にすべての業務を止め、お客様と共に、黙祷を捧げました。
あんなに賑やかだった売り場がシーンと静まりかえった瞬間でした。
一年前の今日の出来事ははっきり覚えています。
その日はpapaが休みで、予定では680円のアオさんの服が不良品で交換しに仙台に行く予定でした。
アオさんがなかなか眠りから覚めず、私はピグを始めた矢先、ピグでmirryさんとお話をしました。
その後もピグに夢中になってしまい、気が付いたらもうお昼近く。仙台に向かう気がだんだん薄れてきました。
アオさんも体調がすぐれなかったのかグズグズ・・・今日はもう出かけるのは止めようとお昼ご飯を済ませ3人でのんびりしていました。
最初は小さい揺れから始まり、火の元を消したりするくらいでいたんだけど、急に大きな揺れに変わり、本棚の本が落ち、吊り棚の食器が落ちて割れ、PCのプリンターが落ち、テレビが倒れ・・・次々にいろんなモノがグチャグチャに・・・
揺れが始まった時にpapaは毛布ごとアオさんを抱き上げていました。
次々といろんなものが落ちてガシャーンガシャーンってなるので、慌てて狭い廊下へ避難。(落ちてくるものが何もないから)
でも、どんどん揺れが激しくなるので、外に出ようと玄関を開けると、目の前の一軒家が今にも倒れそうなくらいに揺れている。
アパートの2階だったので、階段をおりようとしても階段がグラグラで・・・
papaは慌てて私のサンダルを履き、私はpapaの靴を履き階段をおりる・・・(後で結果オーライ(笑))
揺れの長さは8分。
『早く止まってー!!』って思わず叫んじゃった。
うちのアパートのすぐ裏はお寺で、お寺の本堂からは瓦がどんどん落ちていく。お寺の窓が落ち、塀が崩れ、墓石が次々と倒れていく中、3人で広いお寺の駐車場で揺れが収まるのを待ちました。
お向かいの家のおばあちゃんと、ヤバイヤバイ!家には入らない方がいいねどうする??
なんて言ってたけど、実家に一人でいた母親が気になって仕方がない。
揺れが収まり、家に入ったら、これは大変な事が起きたと理解できた。
寝返りで移動しているアオさんを寝かせられない。。。片つけようとした瞬間に次の余震が・・・
諦めて、車をお寺の駐車場に移してアオさんをチャイルドシートに寝かせ、必要物品を取りにアパートの中へ。
オムツ、ミルク、お湯、着替え、毛布、貴重品。。。
余震があまりにもデカイ。電信柱が倒れそう・・・
papaに私の実家に向かってもらい母親を連れてきた。
今度はpapaの実家気になり、papaの実家(今の住屋)に向かう。
この時、車はガソリンランプがついていた。
この時は、津波がきている事なんて全く知らなかった。海から2キロ以上離れた国道を北上して実家に向かった。
高台からくだり下りかけた時、行く手が浸水しているのが見えた。道路の上に船が何台も転がっていた。
『津波が来たんだ。』papaがボソッと言った。
ちょうどケータイが姑のケータイとつながり、姑とおおじいじの無事が確認できた。
道路上でUターンし、ガソリンを満タンに入れてもらった。
目の前で崩れていく街並み・・・やっと、震災レベルの事だって思えてきた。
晴れているのに雪が舞ってきて、もう何がなんだか分からない。
市役所が指定避難所だったから、市役所に行ったら、市役所は大パニック。
余震が来るたび職員が外に出てくる・・・
避難所の情報が欲しくてしばらく待つもなんにも情報はない。
私たちのように次々と市民が市役所に集まりだす。
一人の職員がアオさんを抱いていた私に近づいてきて、『保健センターに行ってみな』ってそっと教えてくれた。
市役所からすぐの保健センターはもうすでに避難所としての準備が出来ていて一晩保健センターで夜を明かしました。
もし、ピグでミリーさんに出会っていなかったら、浜街道を走り、仙台に向かっていたところでした。
津波にのまれていたか、帰宅出来ないでいたかだったでしょう。。。
あの日から、一年経ったんだって思っても、地震が起きる前の生活にはもどれていません。
特に原発。
原発に近いところに住む友達はみんなチリじりに避難してしまった。
電車も走っていない。(3つ駅分は復旧しているけど、電車では仙台にも東京にも福島にもどこにもつながていない。)
姑が大好きだった畑や花壇が今も雑草で荒れ放題。(線量が高く出来ない)
大手のお店は何処も閉まっている(うちの会社みたいに最近再開するところは増えてきたケドまだまだ・・・)
コンビニが人手不足で24時間営業していない。
他のお店も一緒でチラシとかには『スタッフ不足のため時間を縮小して営業いたしております』なんて文言も入っているくらい・・・
開業医の個人医院なんてほとんどが閉まっているし、歯医者も午前中しか診療しないところがほとんど。
小児科なんて全然やってなくて、アオさんのかかりつけだった総合病院の小児科がやっと再開してくれたくらい。
がれきの丘から、草が生え、枯れ、雪がかぶった。
そうだね、1年たったんだね。