師いわく… | 湧flow

師いわく…

毎月一回しかない絵画館の日本画クラスなのに、
3月、4月は、仕事が入って行くことができませんでした。
木曜クラスもあるので、
その日に会社休めば振り替えさせてもらえるのですが、それもかなわず…(ノ_-。)、
今日は、ようやく二ヶ月ぶりの受講です。

絵画館は国立競技場に隣接しているためか、
日曜は、大抵近くで何かイベント(長距離走とか自転車競技とか)をやっているのですが、
今日は着いた時間に、消防団のイベントの表彰式が行われていました。
午前中、何度も何度もヘンデルの「見よ、勇者は帰る」(よくメダルの授与に使われる曲)の
頭のところだけリピートして聴かされ、
終いには、聴く前から頭の中をそのメロディがぐるぐる回り、
わかったから…と突っ込みたくなりました(^_^;)。

さて、お休みだった二ヶ月の間にうちで描いたものを先生に観てもらって、
今日仕上げるつもりの途中段階のものにもらったアドバイス
   「デッサンはできてて形はとれてる。構図もいい。
    ただ、花のもつ質感というか柔らかさ、雰囲気はもう一つだから、
    それが表現できるといいね」
これ、前にも言われてきたことなんですが、
受験と学生時代に、さんざん石膏やら静物やらのデッサンをやったので、
   「まず正確に形をとる」
っていうのが、いまだに染み付いてて、デッサンの狂いが出るとどうにも気持ち悪い(-""-;)。
結局最初にそこに意識を集中してしまい、
対象に対して自分がどんな風に感じているか、
何を対象から受けているかの表現が二の次になってしまうのです。
アートの本質はそこのところなのに…。

写実に慣れていない状態であれば、形がとれずに必死になってるうちに
何となくその人の感じているものがにじみ出てくるのですが、
中途半端に技術が身に付くと、
技術先行で肝心のニュアンスや主題が伝わらない空っぽな作品(いわゆる上手な絵)になりがちです。
ここを突破して、無意識領域に自分の技術を明け渡して描けるようになれば、
ほんものの大人のアーティストになれるのですが、
それができるのはほんの一握り。
強靭な意思と個性、そして自分の作品を的確にとらえる感性と、たぶん高い知性も必要なんだと思います。
なんで、アカデミックな美術教育で、徹底的に技術を教えるのか…一時期疑問でしたが、
要は、一回構築して完成させた世界をある意味崩して、自分の力で乗り越えていけっていう
相当に厳しい教えなんじゃないでしょうか。

空っぽな絵よりは、
技術はないけど、その人の感情や本能が生々しく表現されている作品の方が
人を動かします。
美術に限らず、経験してしまったものは抱えてやってくしかないので、
身に付いたものを否定はしないけど、何とか少しでも乗り越えられるよう
ぼちぼちでも描くしかないんだろうなぁ…。
道は遠い走る人