応為の足跡 | 湧flow

応為の足跡

小布施に行ってきました。
一番の目当ては、北斎館の菊図。

何年か前にロンドンから戻ってきたというこの2点は、
銘は北斎ですが、葛飾応為=お栄の作ではないかと言われています。

構図といい色彩といい、息をのむ見事さ。
花弁が動き出しそうな錯覚を覚え、単に美しいというだけでない、
写実を超えた凄みのようなものが伝わってきます。
なんだか涙すら浮かんできました。
お栄ちゃん、ありがとう(゚ーÅ)。

思いがけず、もう一点面白い作品を観ることができました。
応為栄女の銘のある掛け軸です。
遠景に富士、手前に竹林で育ちすぎた竹の子がひょこひょこ並んだ作品。
これまで観たお栄の肉筆画からすると「あらっ?」と
拍子抜けしそうなほどあっさりさらっと、はっきり申せば手を抜いて(^_^;)描いてあるのですが、
この絵の一番面白いところは、中央に押された印です。

応為栄女の署名の下の印が富士山マークのものなのですが、
これは、北斎や卍老人などの署名の時も用いられているものと同じです。
お栄が代筆をした作品もあったという有力な証拠じゃないかと嬉しくなりましたp(^-^)q。

ネットで調べると、
お栄の作を北斎の贋作だとか何とかおっしゃってる方もいらっしゃるようですが、
そんな方には、ちちちちっ(-""-;)、わかってないなぁと一言申し上げたい。
私は「北斎」っていうのは、
鉄蔵とお栄父娘のユニット名だと思った方が良いのはないかと考えています。
もちろんメインボーカルは鉄蔵ですが、たまにお栄がボーカルを交代することもあったという風に。

絵に携わる者の勘ですが、
北斎肉筆画作品の骨太の力強い勢いのある線は、
純粋に北斎独自のものだと思います。
なぜに? と聞かれても、「線って個性が出るんですよ」としか答えられませんが、
これはどう観ても、お栄の線ではないなって思うものが結構あります。
あの迷いのない力強い線の勢いは、画狂北斎にしか出せないでしょう。
北斎ユニットの中にも、はっきりと二人の個性が見て取れるものがあると思うのです。

また、先に書いたのとは逆のケースですが、杉浦日向子さんの百日紅の中に
お栄に独自の落款を入れさせたがる画商が、
  「お栄さん、またいい絵ができたね」というのに対し、
  「オレんじゃねぇよ。鉄蔵んだよ」(お栄)
  「北斎と書くより、高く売れるんだろ?」(^^ゞ (鉄蔵)
っていう話があって、大好きなのですが、
もしかして、もしかしたら鉄蔵がお栄の代筆をしたものもあったのかもしれません。

他にも、小布施に北斎とお栄を招いた高井鴻山関連の資料の中に、
岩松院の鳳凰に使う赤い絵の具の作り方を書いたお栄の手紙があったとか、
  (その手紙は今どこにあるのでしょう?)
北斎作と言われている銘のない掛け軸の観音像があるとか、
  (絵はがきでしか見てません、本物が観たい!)
思わぬ情報も手に入り、
200年前には鉄蔵とお栄がここを歩いていたんだなぁと感慨に耽りながら小布施の町を歩きました。
アイドルを追っかける心境って、きっとこんな感じなんだろうなぁ。

蛇足ですが…、
小布施のお酒関係のコピーに「北斎も飲んだお酒○○」みたいなものを見ました。
確かに文献には、
山車の天井絵か彫刻かなんかが一段落した時に、
  「職人と祝杯をあげるから酒を持ってこい」
と北斎が言ったという記録があるようですが、北斎は甘党で下戸だったって言われてます。
だから、こちらは「北斎も味わった栗かのこor栗ようかん」
(^▽^;)かなんかにして、
お栄はお酒もたばこも嗜んだらしいので、お酒のコピーは
  「お栄も飲んだお酒○○」
に変えてもらえませんでしょうか、だめかな?(って誰に頼んでるんだか(^o^;))お酒