アイスクリーム 曖昧さ回避【冒頭】目次 歴史  

 

世界での普及

初期のアイスクリームは、冷たいボウルの中で手を使い造られた。このため、製造は大変に困難であった。これを改良する発明は主に18世紀に移民によってアイスクリームが伝わったアメリカでなされた。1846年、アメリカのナンシー・ジョンソンという主婦によって手回しのクランク式の攪拌機が発明された。1851年にはメリーランド州ボルチモア市の牛乳屋ヤコブ・フッセルが余った生クリームを処理するために世界初のアイスクリーム製造工場を造った。この後、アイスクリームは量産品と、生洋菓子にはっきり分かれるようになる。量産品のアイスクリーム製造は、アメリカ合衆国がさかんである。一方1867年ドイツ製氷機が発明されると、この冷凍技術と酪農の発達に伴い、アイスクリームの工場生産時代を現出した。

アイスクリームサンデー(Sundae)は、1881年ウィスコンシン州のエド・バーナー(Ed Berners)によって発明された。バーナーは日曜日に、5セントでデザートを提供した。このためにこの名がついた。

2015年夏の1ヶ月間、イタリア国内の数百店舗では、貧困家庭の子ども等にアイスを無償提供するプロジェクト「保留アイス」が実施された。趣旨に賛同した購入客が2つ分の料金を支払うことで成立する仕組みで、SalvamammeというNGOが考案した。同国ナポリ発祥とされる「カフェ・ソスペーゾ(他人のコーヒー先払い)」に倣ったもの[4][5]【人類滅亡回避可】

日本での普及

日本人で初めてアイスクリームを食べたのは1860年(万延元年)に咸臨丸で渡米した遣米使節団であるとされている。

日本初のアイスクリームは、1869年(明治2年)6月(旧暦、新暦では7月)、遣米使節団のメンバーであった町田房蔵が米国に密航した後に帰国した出島松蔵から製法を教わり、横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売したものである。「あいすくりん」という名称で、一人前の値段は2分(現在の価値で約8000円)と大変高価な物であった為、民衆に敬遠され、なかなか浸透しなかった。原料は、生乳、砂糖、卵黄といたってシンプルなもので、これはいまは「カスタードアイス」とも呼ばれている。横浜沿革誌によると、明治2年は大赤字となり、一時休業したが、明治3年4月の横浜総鎮守伊勢山皇大神宮創建の祭に際して再開したところ、祭礼の賑わいと初夏の日差しにより「頗る繁盛を極め、因て前年の失敗を快復」したとある。なお「アイスクリームの日」である5月9日が日本で初めてアイスクリームを製造・販売した日と一般的に言われているが、横浜沿革誌にはそのような記述はない(日付自体は社団法人日本アイスクリーム協会が1965年(昭和40年)に制定した正式なものである)。出島松蔵は明治天皇に「あいすくりん」を献上している。このアイスは富士の氷穴及び函館の天然氷を用いて製造したと本人が書き残している。後に1899年(明治32年)7月東京銀座資生堂でも売り出し、人気メニューとなった。その後日本でアイスクリームの工業生産がスタートするのは大正9年である。

原材料