昨年から行き始めたフリースクール。2月半ばを過ぎた今も通っています。

どういうわけか最近は、学校へ行く頻度が増えたように思います。平均すると週に一度は登校する感じです。

フリースクールと適応相談センター(フレンドリーナウ)と学校と、自分でバランスを取っています。学校の支援級主任の先生が、
「学校は都合よく使ってください」
と言ってくださった(無責任に聞こえる発言ですが、経緯上、そうではないことはわかる)通りになっています。全部、「利用」です。
 



そして、あみは少しずつ、話せる場面を増やしていっています。私から見ると、少しずつではなく「どんどん」と感じています。クリスマス会以来、「話したい」という気持ちは、日に日に強くなってきているように見えます。

あみの通うフリースクールは、通信制高校のサポート校に併設されています(私はそういう所しか知らないのですが)。併設といっても、個別指導ブースも自習室も設備は全部共用ですし、高校生が特別活動の単位を取得する目的で行われるイベントにも自由に参加することができます。

通信制高校は、基本的にはレポートを提出しテストを受けることで単位を取得します。それ以外に登校しなければならないのは年に何日かスクーリング(対面授業)だけです。サポート校へは、出席日数のために通うのではなく、一人で計画的にレポートを書いて単位を取って卒業するのはとても難しいので、サポートしてもらうために通います。上に書いた特別活動の単位を取るためでもあります。

そして、中等部はまだ開設されて間もないので人数が少ないそうです。そのため、週に3日も登校してくるのはたぶんあみだけで、広い自習室には、イベントのない日はいつも5、6人しかいません。

静かな環境で、そっとしておいてもらえるのがいいのかもしれません。

「話したい」という気持ちを保ちつつ、通っていました。

そんなある日(1月12日)、フリースクールから放課後等デイサービスへ移動中(地下鉄と歩きで自分で行く)のあみから電話。

「(事務の)Oさんとしゃべったよ」

Oさん「どうやって来てるの?」
あみ「歩いて」
Oさん「何分かかるの?」
あみ「30分くらい」
Oさん「すごい!知らなかった!」
という会話だったと言います。

ほんの挨拶のような会話。たったこれだけだけど、ものすごく勇気が必要だったと思います。

家に帰ってきてから、耳を澄ます仕草をしながら、
「Oさんがこうやって聞いてくれたから」
と話してくれました。

「すごいね、がんばったね。Oさんもよく考えてくれてるんだね」
大袈裟にならないように、でも喜んでいることは伝わるように気をつけて、褒めました。本当は「うわぁ、すごーい!」と小躍りして言いたかったんだけど、我慢我慢。

もっといろいろ突っ込んで聞きたかったんだけど、それも我慢。

話せたことを、あみの許可を得て夫に話したら、なぜか、
「ふーん」
と流されてしまって、あみは激怒していました。久々にキーッとなって、夫をバシバシ叩きます。
「なんで?なんで?」
とあみが怒った理由が理解できない夫。私が、
「わかりやすく言えば、100点のテストを見せたのに、『ふーん』って帰ってきたら嫌だよね?」
と説明しても理解できない様子。

それでも割とすぐ気分をある程度持ち直したあみ(父親には腹を立てているけど私への八つ当たりはやめた)がお風呂へ行ったので話をすると、
「だって、リアクションしてほしくないんでしょ」
と言うので悲しくなりました。リアクションしてほしくないのは、今まで話していなかった人と話した時に、「あ!話せたね!すごい!」などと言われると居心地が悪いということで、親は別枠なのです。わざとらしいのは無理ですが。
「ホントにわかってないね」
それ以上何も言いたくなくなりました。なんにもわかっていません。反応してほしくないのは他人の話です。

大勢で騒いでほしくないだけ。親には認めてほしいに決まっています。ただ、大袈裟に反応されるのは嫌だというのは確かに勝手な話だけど、他でもない親には甘えているだけなのですから、わかってやってほしいです。

そういえば、前に体験入学に「たまにはお父さんと行ったら?行きたいと思うよ」と言ったら、「あの人、興味ないよ」って言ってたなぁ。

こんなだから、そう言われちゃうんだよ。


そのすぐ後、熱田神宮へ初詣に行くイベントがありました。その帰り、教室長さんに声を出して、皆と別れてバスで帰ることを声で話して伝えることができたと言います。


フリースクールでは、1月から、女子サークルなるものができました。不定期に女子が集まり、何か楽しいことをするらしいです。最初の日は、「色彩心理学キュービック」を行ったそうです。

あみは女子サークルをとても楽しみにしています。

また、毎週金曜には高等部の卒業式の準備をしています。こちらは男女問わず有志で進めています。金曜に別の用事があるときは、とても残念そうです。準備に必要な物を買うために、高校生女子2人と3人で近くのSeriaへ行ったこともありました。その時は、3人でLINEを交換し合ったそうです。

2回目の女子サークルは、高等部の卒業式に飾る桜の木の幹を描いたそうです。その日の参加者はあみともう一人の二人だったのですが、二人でおしゃべりしながら作業して、楽しかったようです。

そして、1月20日の一泊入院の時にも変化がありました。

病院で借りるパジャマのサイズを決めるために看護師さんから身長を聞かれたとき、私の顔をうかがいながら、おずおずと、
「ひゃくごじゅ……」
と答えたのです。
「150?もう少しで私より高くなるね!じゃ、持ってきたSで大丈夫かな?」
と、途中で話を引き取られてしまったけど、私が
「158くらいだよね?」
と話を繋ぐと、そういう場合は看護師さんに悪意がないことを理解できたのか、頷いて納得顔。少し前ならへそを曲げてムッとしたところだけど。その後も、食事が摂れたか聞かれれば、「全部」とか「ちょっと残した」とか声を出して答えていました。


1月の終わり頃、放課後等デイサービスから戻ってきた時、送迎のスタッフさんが二人もいたので、何事かと思いました。

「申し訳ありません。言い出しにくくてあみちゃんにも今初めてお伝えするんですけど……」

3月いっぱいで二人とも辞めると……。

ガーン!!

あみはショックで、エントランスにある目隠しの壁の影に隠れてしまいました。

入れ代わりの激しい事業所なので、いつかは来るとは思っていたのですが、まさか二人同時とは考えもしませんでした。あみは、昨年大好きだったスタッフさんが辞めてから、この二人まで辞めたら、自分もそのデイをやめると常々言っていました。

送ってきてその日の様子を報告してくださるスタッフさんは毎回違うので、ほぼ全員の人柄がなんとなくわかっているのですが、今回辞める二人以外に安心してお任せできる方がいません。更に一人は管理責任者で、代わりに系列の事業者から別の方が来られると言います。

それが、一時期人手不足のためヘルプに来ていたことがある、あみがひどく嫌っている人だということも問題です。どういうわけかその方はゲームの順番であみを飛ばしたり、何人か子どもが並んでいるときに他の子達には話しかけてもあみにだけ話しかけなかったりと、支援者にあるまじき態度を取るような人です。

その件については当時責任者だった辞めるスタッフさんにお話して、なんとかやり過ごすうちに人手が増えて、元いた事業所に戻ったので安心していたので、すごくショックでした。

辞めるスタッフさんも心を痛めてくださり、別の放課後等デイサービスを探すのを手伝ってくれると言っていました。ただ、あみがこの事業所を探した時にも、軽度の子どもを対象にした施設は見当たらなかったし、中高生が多いところは就労に繋がる支援が主で、あみのニーズに合うところがあるとは思えず、今のところ探してもいません。

二人が辞めると知ったあみは、結局、スタッフさんたちが帰るまで目隠しの壁の後ろから出てくることはありませんでした。私の腕にしがみついて廊下を歩き、エレベーターに乗り玄関にたどり着くまで、ブツブツと何か言っていました。

玄関のドアを閉めた瞬間に、
「知らんかった!!知らんかった!」
から始まって、キーキーギャーギャー。
床に転がって足をバタバタ。私も蹴飛ばされました。そのうち、
「しゃべる!絶対、しゃべる!!」
と、うなりながら絞り出すように、それでいてさけぶ様に言いました。

実は、あみは一人で勝手に計画をたてていました。

①三学期中に学校で担任の先生と支援級主任の先生と私と4人だけの時に、先生からYes or Noでは答えられない質問をしてもらって、そこから声を出して話す。
②新年度の自己紹介の時、支援級の皆の前で自分の声で話し、その後は学校でも普通に話す。
③ほぼ同時期に放課後等デイサービスへ行ったらそこでも話す。

クラスメイトの一人が同じデイにいるので、②と③はほぼ同時にしたいと言っていました。片方では話して片方では話さないと、突っ込んでくるタイプの男の子だからと言っていました。

私は、「あー、せっかくその気になっていたのに、予定が狂ってチャンスが逃げてしまった」と失望していたので、驚いてしまって気持ちが追いつきません。

あみがブツブツ言うのをただ頷いて聞いているだけで、数日の間、ボーッと過ごした後、
「お母さんはどうすればいい?」
と聞きました。
「スタッフさんたちだけの時にまず話して、その後、皆とも話したい。でも、どうしたらそういう風にできるかわからないから、お母さん、行って聞いてきて」
と言ったのが、木曜の夜。
翌日の金曜、デイに相談に行き、13時半頃なら誰も来ていないから都合がいいという話になりました。「大きなリアクションは取らないでください。昨日も普通に話していた感じでお願いします」
と言うことも忘れませんでした。ここ重要なポイント。

「じゃあ月曜にする」
またまたまた驚きです。心の準備をする期間が必要だろうと思っていたのです。
「だって早くしないと、話せるのが短くなっちゃうじゃん」
なるほどです。

そして月曜、無事、スタッフさんたちと話すことができました。

今月の利用は日数上限いっぱい、デイのほうの受け入れの上限に空きのある日に予定を入れ、有給消化のために3月9日がスタッフさんたちの最終出勤日となるため、3月の利用は9日までに集中。


こうして書いていると、どんどんどころか、怒涛のごとくと言っても言い過ぎではない気がします。

でも、これは少し飛ばし過ぎのように思います。途中で折れてしまわないかとても心配です。とはいえ、本人がその気になっている以上、止めるのもおかしいです。

「焦らなくていいよ」「うまくいかなくてもがっかりしないで。世の中に取り返しがつかないことなんて、そうそうないから」
くらいはいつも言っています。
「死んだら取り返しがつかないよ」
と娘は言いましたが、
「それが、”そうそうない”の”そうそう”だよ。それだけはやめてね」
と言っておきました。

後は、疲れた時、傷ついて戻ってきた時に、温かく迎えてやるくらいしかないのかもしれません。

最近の記事は、「〜だそうです」「と言っています」「〜のようです」という語尾が多いです。これからは、私の手の届かないところでの活動が増えていって、この語尾を使うことも増えていくのでしょう。


あみの場合、場面緘黙とはいっても、発達障害に付随する症状ではないかと言われています。こだわりとか少し変わったものの見方から、知らず知らず自ら話さないことを選んでいると思われる節があります。だから、このようにして、「話したい」という気持ちが高まることで、場面緘黙の症状が緩和されてきているのではないかと思います。

場面緘黙の人は誰でも頑張れば意志の力で話すことができるようになるわけではない思います。話そうとすると、喉が詰まるような感覚になって話せない、というようなことも聞きます。あみはそういう感覚はないと言っていますから、やはり違うのだと思います。「話せるのに話さない」わけではありません。

あみにしても、このまま一直線に普通に話せるようになるとは思えません。話さないことを選んでいると言っても、明確な意志を持ってというわけではないので、外から無理に働きかけられても、話すことを選ぶことはできないと思います。

このことは、私自身、いつも心に留めています。急かさない、焦らせない、強要しないように気をつけています。ただ、親なので、タイミングを見計らって、適度な強さで背中を押さなくてはならないのが難しいところです。