最後通牒 | 鏡の向こうは夢の中

最後通牒

登場人物

   遠山 郁夫 (59) 会社員
   遠山 里子 (55) その妻

○遠山家・リビングダイニング(夜)

  食卓に向かい合って、黙って夕食を口にする遠山郁夫(59)と
  遠山里子(55)

遠山「考えてみると、お前をロクロク旅行に連れて言った事もなかったなあ、お前には苦労のかけ通しだった」

里子「口ばっかり」

   黙りこむ遠山。

   食事を続ける遠山と里子。

   箸を置いた里子、二人の湯のみに茶を注ぎ、ゆっくり飲み干す。

里子「あなた、別れましょう」
   
里子の言葉が理解できない表情の遠山。

里子「こんな二人きりの重たい時間が、これから一ヶ月先から死ぬまでずっと 続くなんて、考えただけでぞっとします」

遠山「何を言い出すかと思えば・・・」

里子「もうずっと前から考えていたことです」

遠山「別れてどうやって暮らしていく気だ?
まさか、俺の退職金をあてに・・・」

里子「蓄えはあります、もう十年もずっと積み立ててきましたから・・・」

遠山「十年・・・。そんな前から。何で?」

里子「はじめは自分の自由になるお金が欲しかっただけ。でも欲しいものなんてなかったのよ。私が本当にほしかったのは自由」
   
   里子、サイドボードの引出しから離婚届の用紙を取り出し、食卓の上に
   広げる。

里子「私が書けるところは全部書いておきました」

   まだ、事態を飲みこめない様子の遠山。

里子「本当は、仕事も住むところも見つけてあるんです。あとは、あなたに話  しさえすればよかったの」
   
   里子、奥の部屋に行き、身支度を整えて出てくる。手にはボストンバッ   グ。

里子「それではあなた、長いことお世話になりました。離婚届の方、よろしくお願いします。何かございましたら、こちらの弁護士さんの方に連絡なさ  って」

   里子、バッグから名刺を取り出し、テーブルの上に置く。

   そのまま部屋を出ようとして、向き直る。

里子「あ、申し訳ございませんが、後片付けの方お願いできますかしら。三十年間ずっと私一人でやってきたんですもの、一回くらいお願いしたってバチは当たらないわよね」

   くすっと笑い、部屋を出ていく里子。

   呆然としたまま食器を流しに運ぼうとする遠山。

   里子の茶碗が大きな音を立てて落ち、割れる。

   はっとする遠山。

遠山「何なんだ。私が何をしたと言うんだ・・」