さくら さくら | 鏡の向こうは夢の中

さくら さくら

  登 場 人 物

板垣正一(38) 公務員
板垣富子(68) 正一の母
千田百合(30) ホスピスの看護婦
患者1
患者2

 

○桜ヶ峰ホスピス・全景
   「桜ヶ丘ホスピス」と刻まれた門柱。
   そのむこうの木々の中に建つ病棟。

 

○桜ヶ峰ホスピス・外

   門から玄関へ続く道。満開の桜並木。
   背を丸めゆっくり厳寒へ歩いていく板垣富子(68)。
   傍らを入院荷物を抱え歩く板垣正一(38)。
   目前に桜の花びらが落ち、上を見上げる富子、まぶしそうに目を細める。
富子「・・・・きれいねえ、今年の桜は・・・」
   一緒に桜を見つめる正一。

 

○同・病室
   パイン材でまとめられた明るい個室。
   ベッドと小さな炊事施設が整っている。
   看護婦の千田百合(30)に案内されはいってくる正一と富子。
富子「まあ、いいお部屋だこと・・」
   ようやくベッドにたどりついた富子、座ると同時に大きなため息をつく。
富子「正一、手続き済んだら、そのまま帰っていいから」
   正一に背を向けたままの富子。
正一「じゃ、母さん。次の休みに来るから」
   出て行く正一。
   その途端、苦痛に顔をゆがめる富子、

   腰に手を当て、小さなうめき声をもらす。
百合「痛みますか?」
   うなずく富子。その背をさする百合。
百合「息子さんにこんなところ見せたくなかったんですね・・・いいんですよ、もう我慢しなくて。
モルヒネ処方してもらったら、痛みは抑えられますからね」
   痛みに耐えながらうなずく富子。

 

○同・外
   すっかり葉桜となった桜並木。
   玄関へむかって歩いてくる正一。

 

○同・談話室
   入り口で富子を探す正一。
   談笑する富子ら4名ほどの入院患者。
   富子を見つけ、笑顔で近づいてくる正一。
正一「母さん・・・」
富子「あ、正一、来てくれてたの?」
   富子の車椅子に気づく正一、ちょっと戸惑う。
正一「楽しそうだね」
富子「(入院仲間に紹介して)これ、うちの愚息」
   富子と同年配の患者3人が、正一を一斉に見上げ会釈する。
患者1「まあ、ハンサムさん」
富子「・・ねえ、誰かお嫁さん紹介してくれない?それだけが気がかりでねえ・・」
正一「ちょっと、母さん」
患者2「あら、ウブねえ・・。みるみる顔が赤くなってるわ・・」
   笑う患者たち。
   たじろぐ正一。

 

○同・廊下
   富子の車椅子を押す正一。
正一「パワフルだねえ、皆さん・・」
富子「そうねえ・・。モルヒネさまさまなんだけどね・・・」
   ある扉からオルガンの音が響いてくる。
富子「ねえ、そこでとめてくれる?」
   少し開いた扉の入り口に車椅子をとめる正一。

 

○同・チャペル
   小さな礼拝堂である。
   脇のオルガンで牧師(48)が賛美歌を練習している。

 

○同・廊下
   オルガンのメロディにあわせ小さく歌う富子。
   驚いて富子を見る正一。
富子「正一、頼みたいことがあるんだけど・・」
   正一を見上げる富子。

 

○板垣家・仏間
   壁にずらりと並んだ遺影。
   仏壇にたくさんの位牌が並ぶ。
   部屋の中をごそごそ探し回る正一。
正一「何で、よりにもよって仏間なんだ?」
   手ごたえを感じ、何かを手元に引き寄せる正一。
   古びた聖書と賛美歌がでてくる。
   ほこりを払ってぱらぱらめくる正一。
   と、中から古びた一枚の写真が落ちる。
   見覚えのない赤ん坊の写真である。
   拾ってじっと見る正一。

 

○桜ヶ峰ホスピス・外
   初夏の陽射に木々の緑が濃い。
   ある木の下のベンチの横に車椅子を付ける正一、自分もベンチに座る。
   持ってきた紙袋から聖書と賛美歌を取り出す正一。
正一「持ってきたよ。これだろ?」
   富子、うなずいて受け取る。
   聖書をぱらぱらとめくって、赤ん坊の写真が出てくると手を止める。
正一「誰、それ・・・?」
富子「(少し間をおいて)正一のお姉ちゃんよ・・。このときまだ寝返りも打てなかった・・」
正一「・・知らなかった・・」
富子「お仏壇に小さなお位牌があるだけで、正一には何も言わなかったから・・」
正一「お姉さん、死んだの・・?」
富子「今なら乳児突然死ナントカ・・って言うんだろうけど・・・。
あのころはそんなこと何にもわからない時代でね、一緒に寝てた母さんが窒息死させたんだろうって、
ずいぶんおばあちゃんに責められてね・・・」
正一「おばあちゃんが・・」
   うなずく富子。しばしの沈黙。
正一「それにしても古そうだね、その聖書」
富子「・・これはもう50年物だもの・・・」
正一「・・って、結婚前の?」
富子「母さんね、ミッション系の短大、もっともそのころはまだ『専門学校』って言ってたんだけど、
そこに通ってたことがあってね。そこに入学したときに買ったものなの・・」
正一「・・これまで全然話してくれなかったんだね、そんな若い時のこと」
富子「あなたのお姉さんが死んで、気が狂いそうだった、初めての子だったし・・・。
そしたら、学校時代のお友達が教会に誘ってくれてね・・・。
おかしなものよ・・、学生時代は礼拝なんて居眠りするもんだって思ってたのに、そのときは懐かしさもあったのかしらね、・・・うれしくてね・・大きな声で賛美歌も歌った。・・・久しぶりだった・・・」
   富子微笑んだ後、さびしい表情になる。
富子「・・・ただ、おばあちゃんが本気で心配してね・・・
本家の嫁がクリスチャンになったら、誰が先祖代々の墓を守るのかって・・・・」
正一「じゃ、もう行かなかったの・・・・?」
   うなずく富子。
富子「でも、まもなく正一、お前を授かってね・・・・。
母さんが今日あるのは、あなたが生まれてきてくれたおかげ」
   たじろいで少しうつむく正一。
富子「それに、今は神様がついててくださるし・・・」
   まっすぐ何かを見据える富子。
富子「でも、いい?お葬式は板垣の家のやり方でやっていいから。
本家の跡取りのあなたの立場がなくなるからね」
   困惑した正一の眼をじっと見る富子。

 

○同・外(夜)
   激しい風雨に木々がゆれている。

 

○同・富子の病室の前の廊下(夜)
   駆けつける正一、病室から出てきた百合と出会う。
百合「耳は最後まで聞こえますからね、しっかりと声をかけてあげて・・・」
   うなずいて病室に入る正一。百合も続けて入る。
   風雨ますます激しくなり、窓がいっそうがたがた鳴っている。
   その雨音や何かの音にかき消されるように、

   かすかに正一の嗚咽が聞こえる。

 

○葬祭場
   読経が流れる。
   仏式の祭壇に富子の遺影。
   喪主を務める正一。
   焼香する弔問客。

 

○墓地
   板垣家の墓を前に正一と親族、僧侶で納骨が行われている。
   傍らにススキが揺れている。

 

○街中(夜)
   街の中にぽつんと古ぼけた教会が立っている。

   いそがしそうに通り過ぎる人々。
   雪が降っている。
   背中を丸め仕事帰りの正一の姿。
   行き過ぎようとしたとき、教会から賛美歌が聞こえてくる。
   はっとして足を止める正一。
正一「・・母さん!」
   教会の明かりを見つめる正一。

 

○桜ヶ峰ホスピス・外
   冬枯れした桜並木を足早に歩く正一。

 

○同・チャペル
   百合と牧師が話をしている。
   ドアを開け入ってくる正一。
   驚く百合と牧師。
百合「・・板垣さん・・の息子さん・・?」
   持っていた包みを開き富子の遺影を取り出す正一、

   そのまま牧師の方へ差し出し頭を下げる。
正一「お願いです、母のお別れ会をここで開いてください。
母は死ぬまで、いや死んでからも周囲のことばかり、何一つ自分の我を通すことをしませんでした。
私も世間体ばかり気にして、母の胸の中の小さな望みに全く気づいてやれなかったんです」
   涙あふれる正一の肩を、牧師優しく叩く。

 

○同・外
   少しずつ花を咲かせ始めた桜並木の終るところに、

   牧師や病院スタッフ、患者らが見守る中、
   正一と百合の手で、桜の若木が植えられている。
   脇に木の札を立てる正一。
   札には「富子桜」の文字が見える。

 

○同・全景
   淡い緑に包まれた風景の中で、正一たちの姿が小さくなっていく。  

 

<完>