「気持ち悪い!!」

っていう。

「かわいそう」

っていう。

「おねえちゃんでしょ!!」

っていう。

「♪㏄$〇※」

っていう。

一言で完膚なきまでに相手を叩きのめし、自分を優位に立たせる言葉。
自分を正当化させる言葉をひとは簡単に使う。
(↑の言葉は私や娘めがけて言われた言葉)


たったの一瞬で相手をボロボロにできる。


“自己正当化”


私は正しくてあなたが間違っているという二元論。


はてさて、世の中に2つの良い悪いことしかないのか。

自分はグレーなことばかりしているくせに。

相手には白黒つけたがる。

私はついつい子どもに怒るときに言ってしまう言葉。

これは言葉の虐待だと思う。

いったあとに後悔する。

懺悔する。

手をあげるのが見える虐待ならば、言葉の虐待は見えない虐待。

母が居た数ヵ月。

それをまざまざと見せつけられた。

私にも刷り込まれている。



何でそうなるのか。

“日本は子どもに人権がない”

みたいなことを目にしたことがある。


新しい保育園の園長が子どもの目をみて話しかける。

子どもに何をする前に

「○○ちゃん、~するけどどうする?やってみる?」

イヤダ!!ヤル!!

どちらの答えにも、こちらの意図を用意してもしなくても、どちらも受け入れる。

目をみて話を聞く。

その答えに、自分を押し付けない。否定しない。

その答えを出した子どもの意思を受け止める。


…子どもの人権ってこういうことか。


子どもはワタシの所有物ではない。

一人の人間。

分かっている。

分かっているからわざと使う。

これは完全に虐待。

わざと冷たい目で見る。

これも虐待。

「友だちに、知り合いに、こんな言葉でものを教えるだろうか。こんな言い方をするだろうか。」

あ…そうか…。

自分を絶対に嫌わない存在。
自分に絶対に逆らえない存在。
自分を絶対に認めてくれる存在。

が、親にとっての唯一の存在が子どもなんだ。


私の意にそぐわないことをする子どもに、怒るとき。

何回も何回も同じことをしてくる子どもにイライラしてしまうとき。

しつけという大義名分の名のもとに。

もっと子どもに寄り添えないのか!!と、日々反省と後悔と懺悔と。


いや、子どもに甘えてるんだ。

きっと許してくれる…いや、許さざるを得ない、子どもは。


子どもに与える親の業は深い。

保育者ならばさらにそれは深くなる。

相手にする人数が多いから尚更だ。


頭を整理するための戯言です。

なんとなーくまとまりました。

お目汚し失礼しました…。

さー!育児がんばろ!!

私育て。

子どもから教わることばかり。

生かしていかなきゃね。


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