平成17年9月18日(日)

今日は、下の娘の中学校の体育祭に出かけました。すこし、応援には暑すぎるくらいのお天気でしたが、朝の「ピン!」と張った乾いた空気と秋のにおいは、我が家でいう「体育祭の匂い」で素晴らしいお天気でした。中学生にもなると、一緒にお昼も食べてくれないので、私たちのお弁当は無しでビデオカメラを片手にいそいそと出かけました。先日は長女の高校の体育祭を応援に行ったのですが、我が家の娘どもは家族が応援に来ることを嫌がらない・・・というか、前の晩には「この競技に出て、この辺が見所!絶対応援に来てよ!」という少し最近の子からすると珍しい?性質です。長女の時にはあまりの暑さに二人ともめまいがしてお昼でダウンして、昼からPTAの競技に参加した後ソソクサと帰ったのだが、長女から早速メールがはいり「私の出る競技まだあるがやけど!!」「今日はかんべんして~」と謝ったものである。

さてさて、今日の体育祭はというと、今心が本当に晴れやかである。というのも、生徒たちののびのびとした競技、何の賞賛もないにもかかわらす損得無しで必死になってグランドを走る姿、責任リレーでバトンミスから順位を下げることになってないている女の子たち。本当に子供たちの純粋で、何かに向かって必死に取り組む姿には理由無しに感動させられる。気がつけば女房も私もスタンディングオベーションのうえに涙まで流している・・・・。

無我夢中、一生懸命。こんな言葉がどうも「ダサイ」と感じている子供が多いとよく大人たちは口にする。しかし、子供たちは昔も今も、とっても純粋なのです。そういう「理由付け」をして子供たちをでっちあげているのは大人たち。

以前に、私の勤務していた高校で前日行われた「予行練習」であまりにも白熱しすぎてクラス対抗リレーの予行で必死に走りすぎて足をたくさんの生徒たちが負傷し、病院に担ぎこかれた。隣接の病院はあたかも「野戦病院」のごとく廊下で治療を受けている子供たちもいて驚いた。他のクラスがそんなに必死になってない中「なんで今日必死に走るんだぁ?」とすごく疑問に感じたのだが、それだけ純粋なのである。翌日、主力を負傷者で欠いたわがホームは朝から重苦しいムード。中には松葉杖をついてきた子供たちもいた。「代わりの選手でも大丈夫だから」とその場しのぎの慰めを言ったのだが、体育祭は次第に白熱し、いよいよホーム対抗リレー。驚いたことに、昨日負傷した子供たちまで走っている!そして、デッドヒートのなか優勝。総合でも下馬評を裏切り優勝したことを思い出した。クラスの生徒も泣き、もちろん自分も泣いた。心が震えるくらい感激した。優勝したからとか順位がどうとかでなく、子供たちの純粋な無我夢中、一生懸命に心から感動した。そういう場面は学校生活の中にたくさんある。


子供たちを評して「つかみ所がない」「どうも昔と違う」「なんだかやる気が感じられない」と思えるのはそういう純粋な心を亡くしてしまった大人たちだからかも知れません。


体育祭の終わったあと、各色が輪を作り3年生が後輩たちに「来年もがんばってくれ!」と「お願い」をしていた。元気いっぱいの「はい!」という声が校庭に響いていた。


大人が、余計な心配をしなくても子供たちはちゃんと育っているのかもしれない。そんな子供たちをみんなで守っていけるような社会を作れない大人のほうに「キャリア教育」が必要なのかも知れない。