キャリア教育という名前をきいてもう久しいですね。私も、いま「キャリア教育」の魅力に取り付かれている一人です。家族や、知り合いの人に「キャリア」って聞くと何を連想しますか?と聞くと「キャリア官僚」とか「あまり良いイメージがない」というのが率直な意見のようですね。確かに、文部科学省も昨年あたりまではよく分からないまま「とにかくキャリア教育なんです」という話でしたが、今年あたりの話を聞くと、だいぶ具体化してきています。ただ、どうもキャリア教育=企業研修(インターンシップ)というイメージが付きまといます。それは施策の問題だと思います。確かにインターンシップや企業体験もその一部ではありますが、それは全容ではありません。


今の教育のやり方はいまだに「エリート育成教育」です。幼稚園(保育園)から、小学校、中学校とまずは全員を医者か、キャリア官僚?国会議員?大手企業の社員?になることを想定した教育が始まります。でも人間は顔形も違いますし、当然能力にも(学力かな?)違いはありますし、将来やりたい仕事も違うと思うのです。しかし、小学校の1年生から「考えうる最高の職業に就くこと」が前提とされた12年間の教育が始まります。その中から、いわゆるその授業についてこれない子供たちには”落ちこぼれ”(この言い方は適切ではないと思いつつ・・・すみません)となり「それ以外」の仕事を選ぶ「コース」に分けられていくのですよね。まるでベルトコンベアーで商品を作っていくのごとく。


私の娘が高校受験の時に、私が高校の教員ということを言わないで保護者面談に行ったことがあります。娘はクラスでの成績は「上位グループの下位に属するグループ」と「定義」されており、進学校と言われる学校に行くことを薦められました。そこで私の学校(どちらかというとお勉強が得意ではない生徒がくる学校)の名前を出し、「●●高校はどうでしょう?」と質問すると、今までの顔が急変し「だめ!だめ!だめ!もったいない。あんな学校に行ったらろくに勉強できなくなりますよ」と取り付く島もないほどに言われたことがある。また、こんなこともあった。学校説明に行かさせていただくのに電話でアポイントを取っていたときに「●●高校ですが、3年生の進路選択の参考にしていただきたいので、学校説明に行かせてください」とお願いをすると「結構です。私どもで説明しますから」と断られた。普通はここで「分かりました。よろしくお願いします」と言うのだろうが、私はちょっと違う「そうですか。では私どもの学校のことを説明してみてください」と切り返した。するとどうだろう、進路担当者はしどろもどろになりながら結局は何も知らなかったのである。そこで「先生は、これから子供たちが選択しようとしている、いわば人生の選択のような場面で、高校の実情も知らない。そんな状況で、どうやって子供たちに将来を語ったり、学校を進めたりなさっているのですか?本当にそれでよろしいのですか?」と話をし、結局は説明会の約束を取り付けることができた。


つまり、競争率の高いいわゆる「進学校」生徒の希望の多い学校しか、生徒には「情報」として伝えていないのである。子供たちは学校説明にも来ない、資料すらない学校を自分の「進路先」として選ばなければならない。いまやインターネットがあり、ホームページがあるのでそれほどの事はないにしろ、先生に知識がないのだから、生徒から「先生!この学校に行きたいのだけれどどんな特色がある学校?」と聞かれると、面倒くさそうに「そこに書いてある」とか「よく分からないから先輩に聞いてみろ」なんていう顔が目に浮かぶ。そんな「いい加減な」進路指導をされた生徒たちが、晴れ晴れとした気持ちで入学するだろうか?「この学校で間違いない!将来に向かってがんばろう!」と思えるだろうか?


生徒たちはこの壮絶な「生き残り」の中で、だんだんと将来の職業を弁護士や、キャリア官僚からどんどんと違う仕事を与えられるようになってくる。なかには「この中から選べ」とバサ!っと求人票を開く教師もいる。こんなことで、子供たちの「職業観」や「勤労観」が養われるのだろうか?答えは当然NOである。


前にも書いたように勉強ができることは「特技」の一つに過ぎない。友達を作るのが得意な子、縫い物が得意な子、サッカーが得意な子、虫の名前をたくさん知っている子、時刻表を見るのが得意な子、やたらとテレビ番組に詳しい子、給食を残さず食べる子、遅刻も欠席もしない子も全部「特技」なのではないか?!?

その子たちには別に弁護士にならなくても、素晴らしい生き方をできる人生があると思うのです。俗に言う良い会社に入って、楽にお金儲けできたほうが幸せな人生なんて思っているのは「大人」の勝手な都合や思い込みだと思いませんか。


今必用なのは、子供たち一人一人の個性をどれだけ生かせる仕事に就くための「職業観」や「勤労観」を早い段階から養ってやることです。子供たちのそれぞれの特徴をみんなが認め、それぞれに応じた指導やカウンセリングをしていくことで、子供たちはひとりでに自分の進むべき道を見つけることができ、それに向かって努力できます。自分で決めた自分の道、人生ですから進めるのです。いわゆる「キャリア教育」が必要になってくると思われます。キャリア教育についての話はまたの機会にして、難しく書くとこうなります。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/15/06/03061002/001.pdf

しかし、これは役所の書いた机上の論理ですので、そのまま教育現場では活用できませんし、理屈として無理があるところがあります。まあ、いわゆる「世間一般論」というものでしょうか。キャリア教育に関してはリクルート社が発行しているキャリアガイダンスhttp://shingakunet.com/career-g/ が役に立ちます。


方法はともかく、子供たちをどうやって育て、育むかは私たち大人の大きな役目であり、責務です。子供は大人のおもちゃではありません。1年や2年で国の教育方針が変わるようでは健やかに子供たちは育ちません。もっと、もっと私たちは子供たちに教えることがあるはずです。


人間とし育てていくために、大切に育むべきものがあるはずです。