教育委員会にはたくさんの無駄な仕事があります。そのひとつが「議会対応」という仕事。

つまり、議員の思いつきの質問にいわゆる「答弁」を書かなければならないのである。国会でも、県議会でも、町議会でも、実際に答弁を行う、本人が原稿を書くことはなく、その思い付きの質問に一番近い担当をしている担当者が答弁を書くのである。

その質問が、田舎の議員であればあるだけ、質問にセンスがなく思いつきに近い質問をしてくる。しかも、前から言っているように教育問題に関心を持って、改善していっていただくことを前提に質問があって、それに対して「長」が答弁を行い。侃々諤々論議を深めればいいのであるが、定石どうりの質問を「とりあえず」してそれに対する回答も決してないように深入りすることはなく、「前向きに取り組んでまいります」とか「今後とも善処いたします」という暗黙の了解がある。これは国会中継でもまったく同じであるので、暇で死にそうなときには「国会中継」をボーっと見てみると分かる。


とにもかくにも、選挙の時には選挙カーに少し道を譲っただけでも「ありがとうございます。ありがとうございます」と平身低頭な人間が、いったん当選するとたちまち横柄な態度となり、「ちょっと来い」状態である。次回の選挙の時には「センスのない質問はしませんか?」と聞いてみたいものである。こういう仕事は教師の仕事ではない。暇をもてあましている役人がやればいいことである。


民間企業ではリストラがいまだに行われ、あの世界のソニーですら世界中で何万人もの従業員をリストラすると言う。また、国家公務員を2万人リストラすると言う。またしても弱いものが一番の被害者になる。その前にこんなくだらない論議に花を咲かせ、ふんぞり返った生活をしている地方の議員の定数や給与を大幅にカットするべきではないだろうか?自分たちの腹は痛めず経済を復興しようとしている姿勢自体に問題があると思う。


話はまったく違うが、今年も阪神タイガースが優勝しそうな勢いである。私はもともと、熱狂的なジャイアンツのファンだったが選手はともかく、フロントの馬鹿げたやりかたに愛想が尽きて現在はふりーである。そんなことはどうでもいいのだが、阪神が優勝すると乗りのいい大阪人は道頓堀川へなぜだか飛び込む。飛び込んでいる姿も間抜けだが、あのあとノコノコ橋に上がり、ずぶぬれで自宅に帰る姿を想像するだけでも失笑してしまう。昨年は死者まで出たそうで、大阪市は慌てて今年は3mのフェンスを建てている。周りの道頓堀に店を構える人たちは店を壊されたりするのではと戦々恐々としているらしい。しかし、良く考えるとこんな馬鹿げた大人のために、また私たちの税金が無駄に使われている。

行政も無駄なことをしすぎる。好き好んでやっているのだから死のうが、病気になろうが知ったことではない。逆に川の中に先のとがった杭を打つくらいの強硬なやり方をしてもらいたいものである。「それでも飛び込む勇気がありますか?」とでも書いた看板をひとつ作っておけばいい。


こんな光景を見ている子供たちはいったいどう感じているのであろうか?

こんなことを、仮に高校生がやっていたとすれば大問題になるであろう。「●●高校生徒、狂乱のダイブ」とかなんとか新聞の見出しに書き立てられたちまち、高校生も学校も世間の「悪者」に仕立て上げられる。


今の社会の中には、そういった矛盾がたくさんある。学校内でもたくさんの矛盾に出会う。「生徒使用禁止」と堂々と書かれたトイレ。なぜ??生徒が使うことで必ず問題があることが前提?冷暖房完備の職員室と猛烈な暑さと、凍えるような寒さの教室。(暑さ寒さの感じ方に年齢はあるのでしょうか??)先生は染めていい髪の毛。同じようにあけていいピアス。


「やってはいけないこと」は大人も、子供も同じではないでしょうか。

電車やバスの中で、あるいは時々飛行機の中でも携帯電話をしつこく使っているのは「おばさん」や「おじさん」ではないですか?「あーワシじゃ!ワシじゃ!」・・・・・・・先日、映画を観た時にも携帯電話が鳴った。びっくりしたが、まだびっくりしたのはその電話を受けた「大人」が話を始めたことである。「あーーわたし、わたし。えっ?なに?今映画館」・・・・・


本当に変わらなければならないのは「いまどきの子供」ではなく「いまどきの大人」ではないだろうか?