昨日の、フリーターの記事に反響をいただきましたので、もう少し、そこまでの話をさせてください。
何度も書いていますが、私は年間に20回程度いろいろなところで講演をさせていただく機会をいただくようになりました。きっかけは何でもないことですが、それは自分で願ってそうなったことです。私の夢はブログのサイドにも書いているように、全国のどこへでも出かけて自分の想いを話したいということですから。
その講演会の中には「中学生」対象のものもあります。中学生に話をするときにどういうことを話しているかを聞いていただくと、今の教育の問題がすごく見えてきます。
講演の最初は、どこに行っても、誰に話してもすごく緊張します。中学生もそうです。聞いてくれるのだろうか?などと思いながら、いろいろラポールつくりをしながら話に入っていきます。
私はまず、最初にいくつか質問をして話をするのですが・・・・
私:「では、みんなは私たちの県内に高校が何校あるのか知っていますか?」
生:「100校!!!」
私:「そんなにないよぉ~!」
生:「じゃあ、10校!」
私:「そんなん、みんな高校へ行けないじゃないか!」
そんな押し問答をしながら、そばにいる保護者や、先生にも当てていきます。
私:「じゃあ先生は知っていますかぁ?」
先:「70校くらいですかねぇ・・・・・」
私:「そんなにはないでしょう。」
次に、後ろで聞いている保護者にも聞きます。
私:「じゃあ、お父さん、お母さん何校だと思いますが?」
母:「50校くらい?」
私:「近いなぁ!!もうすこしですよぉ!」
その辺で、生徒にフォーカスを戻します。「ほらぁ。君達も県内に高校が何校あるのか知らないし、先生も、お父さんもお母さんもしらないよ!どうする?」
私:「じゃあ質問を変えます。では、県内の高校にどんな学科があるのか知ってますか?」
この質問も同じことをやります。
結局は知らないのですね。そこで、いくつかの特色的な学科を引っ張り出して「この学科はどんなことを勉強するのか、知ってますか?ハイ!お母さん!」といって保護者に当てたりします。「では、先生はどうですか?」
結局誰も知らないということに会場の誰もが気がつきます。
決して、信頼関係の崩壊を狙っているわけではありません。かなり会場が引いてくれたところで。
私:「ほら、みんな高校が何校あるのかも、どんな学科。つまり、その学校がどんな勉強をしているのかも知らないで、これからの人生に大きな影響を与えるかも知れない、高校を選ぼうとしていたわけですかぁ???」
もっと、会場が引いてくれます。畳み掛けるように・・・・
私;「じゃあ、知っている高校の名前を言ってみて」というと、有名進学校や、自分の家から近い高校の名前がたくさん出てきます。
私;「その高校は、どんな勉強をしているの?」「そこで、何をしたいの?」と聞いていくと誰も答えなくなります。
あまり会場が引きすぎてしまうと、後の話がしにくくなりますので、その辺にして。
私:「君達はこれから自分の人生を決めるかも知れない、高校を選ぶときに、わずか数校の名前すら知らない。その学校がどんな勉強をしているのかも知らない、卒業後、どういう人生があるのかも知らない。しかも、それを教えてくれる先生や、お父さん、お母さんも知らない・・・・・。こんな状況で高校を選んでいいの?何を基準に選ぼうとしていたわけですか?」
結局はここだと思うのです。
高校を出るときには、就職・進学とかなりの状況がデータとして示されますので、わかりやすいですよね。就職内定率何パーセント。進学率何パーセント。国公立合格率何パーセント・・・・・・
でも、そんな数値を並べてなんになります?何を比較しているのですか?それで、子ども達の将来の幸せな姿まで見えますか?有名な大学に行けば必ず幸せになれるのですか????????
そんなことはないのです。
もう、そんな時代ではありません。
幸せの形や感じ方は一つではないのです。でも、それをいまだに一つだと疑わずに一生懸命な人がいます。
教師と親です。決して否定はしません。何かに向かって努力することは大事なことです。しかし、人間の「価値」までも、点数で推し量ってはいけません。
中学校の先生方は子ども達を高校に入れることだけを考えています。この点数ならこの高校に入れますよ!という面談を二人の娘ともハンを押したように同じ台詞を聞きました。ためしに、自分の勤務している学校を出してみたら「あ~!!だめだめ、あんな学校に行ったら大学にはいけなくなりますからぁ!!」もう、呆れてものが言えません。
教師って何なのでしょう?
知識を詰め込んで、それを吐き出すだけの行為を「学習」とか「勉強」とかと勘違いしていないでしょうか?
子どもの価値の測り方をあまりにも一つの物差に頼って図っていませんか?
だって、無理はないですよね。先生・・・・・あなた達はそうやって育ってきた人たちだから。
点数を取ることが素晴らしことで、自分はそうやって学校から、学校に帰ってきたのですよね。
よく、先生対象のセミナーの講師もやらせてもらいます。そのセミナーの時には最初にいくつか質問をします。
「先生方!こんにちは。まず、話に入る前に教えてください。先生はどうして先生になったのですか?」
「先生という職業はどんな仕事なのですか?」
「先生は、子ども達に何を教えたいのですか?」
若い先生のセミナーに行くと、本当にすらすらと書いてくれますが、全員の教師を集めたようなセミナーに行くと本当に頭をひねっている年配の先生もたくさんいます。
もう、教育が捻じ曲がっています。おとといの記事をもう一度書きますが・・・・
○ 僕への感心は成績だけですか?<5年生男子>
○ メールをしながら私の話しを聞かないで<5年生女子>
○ 忙しいのは分かるけど、もっとお話してください<3年生女子>
○ 大人も間違えることがあるから、ちゃんと謝ってください<4年生女子>
○ あまり心配されると、心配になります<3年生女子>
○ ぼくを他の子と比べるのをやめて下さい<5年生男子>
○ もうちょっと厳しくして欲しい。悪いことをしたら、きちっと怒って欲しい<5年生男子>
○ 小学生の算数くらい「無理」といわないで、ちゃんと教えてください<5年生女子>
○ 妹ばかりかまわないで、ぼくの話も聞いて<4年生男子>
○ 自分の思うように子どもに押し付けないでください<6年生男子>
○ できないと決め付けないで、僕を信じてください<5年生男子>
こういう、子ども達の想いはどこに行くのでしょう?誰が満たしてくれるのでしょう??
子ども達は、夢を見ることも許されず、自分の将来も見えないまま「お勉強」という「呪縛」に取り付かれ、お勉強のできる子どもは親の期待を一身に背負って進学校に進学していきます。それから漏れた子ども達は、誰にも期待されることなく輪切りにされた高校に進学していきます。もう、この時点で将来が見えるはずがありませんよね。高校の出口をいくら懸念しても、この段階から大失敗が始まっていることになぜ気がつかないのでしょう?
子どもの適性、能力、興味、関心・・・・・
それはどこへ行くのでしょう?親が、教師が意識を変えなければ・・・・・
教育問題は解決されることは絶対にありません。
問題は子どもではないのですから。問題は大人、教師、親、地域ですから。