先日の東京での会議に参加した際に、今月末から始まる「キャリアカウンセリングセミナー」の講師の先生にばったり出会いました。それも、次々に何人も・・・・・・・
やはり、そういうふうに呼ばれるようになっているのかなぁ・・・と、いろいろ考えながら話をさせていただきました。
講師の先生方は本当に、無理を言って来ていただくにも関わらず、本当に献身的に資料作成や、講座のプランニングをしてくださっています。本当に頭が下がる想いがします。そうして、いろいろと打合せをさせてもらっているときに、ある講師の先生から
「オリオリ先生は、坂本龍馬のような人ですね!あなたの県に明治維新を起こしたいわけでしょう?」
といわれ、はっと坂本龍馬のことを思い出してみました。皆さんご存知のように、坂本龍馬は土佐藩の武士でしたが、熱い想いを胸に脱藩し、薩長連合を構築するなど歴史上に彼がいなければ、日本の文明開化は100年は遅れたといわれる人です。しかし、歴史の教科書に大々的に彼が出てくることはありませんが、歴史上の人物では多くのファンがいることでも知られています。少し、坂本龍馬のことを調べてみました。
龍馬に関するデータはネットにはたくさんありすぎますが、簡素に説明すると・・・・・
土佐が生んだ幕末の英雄、坂本龍馬。欧米列強に脅かされていたわが国で、一介の浪人である龍馬が国(藩)の枠を超え、縦横無尽に動き回り、維新回天の扉を開きました。既成概念にとらわれない発想や自由で志高い生きざまは、今も多くのファンを引きつけてやみません。
幕末、幕府を倒すための「海軍」と「商社」の性格を併せ持つ浪人結社「海援隊」を組織。西南雄藩から、幕府に到るまでの多彩な人脈を生かして薩長同盟締結、大政奉還に大きな役割を果たした。また議会制度や兵制改革、経済の安定策など日本の近代化のモデル案「船中八策」を提唱。新政府の綱領に生かされた。慶応3年、11月15日、京都の近江屋で暗殺される。享年33歳。「日本で初めて株式会社を作った男」「日本で初めて新婚旅行に行った男」としても知られる。
つまり、志を持ち脱藩(その当時では重罪らしい)をして、京都へ出向き、日本という小さな国の中で戦をしていても始まらない!広い世界を見なければならない、世界にはもっと、もっとすごいことがある。と、戦に明け暮れていた藩同士を人脈を使ってうまくまとめ、そのためには日本中を東へ西へと飛び回り、広い人脈と高い理想、そして果てしないビジョンを持ち、戦国時代に終止符を打つ「大政奉還」に導いた人物ということになるでしょうか。
そのために、それを妬む敵も多く、33歳にして暗殺されたとされています。
龍馬がもし、その後も30年くらい生き延びていたら日本はどう変わっていったのでしょう?
何よりも、龍馬に共感するところは「過去に捕らわれない自由な発想」をしているところです。そういうことをする人物を、世間一般には「異端児」という言葉で一まとめにしますよね。
私は、当然のように坂本龍馬のような崇高なレベルではありません。しかし、そういわれて彼に感心を持つと、いろいろと共感できる部分はあるように感じました。彼が、その目で見ていた「理想の世界」というのはなんだったのでしょう。何を見つめ、何に導かれながら行動をしていたのでしょう。
ただ、私も「教育」というものを根底から引っくり返したいと思っていることは事実です。そのためには、過去の事実などどうでもいいことです。時代はいつも動いています。その動きを察知し、その動きよりも先を読めなければ変化は起こりません。
坂本龍馬が明治維新を夢見て、多くの同士と夢を語り合ったように、私も一人では何もできません。多くの志を持った先生と共に、時代を変えていけるような、後になって振り返ってみれば「あの時が変化の時だった」とみんなが納得できるようなそんな仕事がしたいと思います。
龍馬先生。
あなたは時代に何を見ましたか?脱藩をしてまであなたが変えなければと思ったことはなんですか?凛として前を見据えた目は時代のどれくらい先を見ていましたか?
あなたに追いつくことはできませんが、私も時代を変えるために、あなたと同じように人生を生きたいと思います。
私にもあなたの勇気と、行動力を分け与えてください。
さあ!
ついに今日から今年のメインイベントの「キャリアカウンセリングセミナー」に向けて、講師の先生方が本県入りを始めます。ついに、待ちに待ったこの瞬間がやってきます。このセミナーを成功させるためにいろんなアイデアと、いろんな努力をしてきました。参加してくださる先生方が「参加して本当によかった!」と思えるようなそんなセミナーにしてみせます。講師の皆様、スタッフの皆様、どうか私に力を貸してください。そして、私たちの県の教育を変えていくターニングポイントになるようによろしくお願いします。