教育って何なのでしょう?


一頃の「異常な」暑さも少し影を潜めてきましたね。今日は、夕方になるとちょっと遠方からでも「歩いて帰ろうか!」という発想ができるくらいの気温になってきました。

実は、気温自体はあまり変わっていないのですが、太陽の角度がやや鋭角に変わってきたのかなぁ??まぶしいとは思いますが、以前のような「暑さ」はだいぶ弱まってきたような気がします。


昨日の「皆既月食」はごらんになられましたか?私は、終わりの方しか観られなかったのですが、不思議ですよね。地球の影が月に映っているのですからね。本当に宇宙は神秘的です。


夏休みも終わりに近づき・・・・というか、下の娘の通っている学校では「二学期制」のために、昨日から学校が始まっています。一時は、流行のように「二学期制」を導入する学校が多かったのですが、今ではすっかり廃れてしまい、元の三学期制に戻す学校が多くなってきました。普通に考えてもあまりメリットがあるとは思えません。それどころか、かなりの「デメリット」が目立ってくるようになりました。

また、今年から校長の裁量で「夏休みの長さ」を決めることができるようになりました。進学校の校長達はこぞって1日でも、2日でも早く夏休みを切り上げ、「授業時間」の確保に躍起になっています。


でも、そんなに変わるのでしょうか???私には「校長のエゴ」にしか思えません。スタンドプレーですね。


今回、甲子園で優勝した「佐賀北高校」。

佐賀県では有名な進学校らしいです。グラウンドも共同で使用し「専用野球場」や「特待生」も当然いません。地元の子ども達が、集まった学校で、クラブ活動も地道にやってきたのだと思います。私も途中からこの「佐賀北高校」に注目していました。私は、草野球はやっていますが、野球に関しては素人です。そんな私が注目したのは、彼らのインタビューでの発言内容です。

彼らは、自分の言葉でしっかりと「想い」を語っていました。その、しっかりとした口調から彼らは「考えて」やっていることが理解できました。つまり、彼らは「やらされていない」のだと思います。多くの学校が、監督の「言いなり」でやらされている感があると思うのですが、いかに自分達の「想い」としてプレーできているかだと思いました。


彼らには

「時間がないから」

「広い練習場がないから」

「練習時間が短いから」


という、言い訳は何も感じられません。たとえ、途中で負けていたとしても同じことをちゃんと話したでしょう。

教育はいかに「子ども達の可能性を引き出すか」ということです。


もう、何度も記事にはしましたが、「勉強ができる」というのは、その一人の人間の「特技」でしかありません。勉強ができる人がみんな素晴らしく、みんな幸せになれるという「幻想」はもうありません。勉強ができる子もいる、料理の得意な子もいる、友達と話をするのが得意な子がいる、さなかの名前をたくさん知っている子がいる、ぜんぜん何も得意でない子どももいる。

だけど、みんな同じなのです。努力をしたか、努力をしていないかの違いはありますが、それは教師にも問題はありますからね。


人間を測る物差は一つではありません。いまは、いろいろな物差があるのです。

勉強はその「物差」の一つにしか過ぎません。早く、それに気づいてい欲しいのです。


教育とは「教える」ことだけではありません。「育てる」ことも大切なのです。

教え、教えられ、想いを育んでいくのが教育ではないでしょうか。


今日、ある教育プログラムを開発している会社の説明会に行っていました。実は、その会社にはずっと昔から興味がありました。プログラムの内容は確かに興味をそそるものでしたし、子ども達にこういうプログラムを体験してもらうことで、絶大な教育効果が現れることは明白だと感じました。

しかし、それは「商売」に過ぎないのです。


始めに、社長の素晴らしい話がありました。

「子どもたちが気づき、自己を理解した時、子ども達というのはものすごいパワーを発揮する。教育は心を動かす、心を拓くことを支援していくことではないですか」

その通りです。しかし、その教育に「対価」がつくと、途端に現実に戻されます。企業体である以上「利益追従」は当然のことなのですが、それならばそれをあまり「教育」を位置づけて欲しくない。ちゃんとした「ビジネス」として紹介をすればいいと感じました。

素晴らしい話だけをたくさん並べ、最後に導入に当たっては○十万円・・・・・。教材が・・・・・。インストラクターが・・・・・」といっていると、最初のいい話が奇麗事に聞こえます。その想いは「対価」がないと感じられないのですね。


教育を「ビジネスチャンス」と捉える人々もいます。

教育を「無償のもの」と捉える人もいます。


今までの「知識」を無理やり詰め込み、それを紙に吐き出すための教育に別れをつげ、本当に子どもたちがやろうとしていることを支援でき、自分が何者なのか、そしてどこに行こうとしているのかを一緒になって考えられる教育が展開されることで、いろいろな問題が解決されると思います。


教育に不正解はありません。教育に順番はありません。教育に優劣はありません。

理想論に聴こえると思いますが、子どもたちが本当に望んでいる教育の形を私たちは探求し続け、提供しなければなりません。それが、プロとしてのミッションだからです。


365個の「想いが」つながるのはもうすぐです。365個目の「想い」として、教育をもう一度考え直してみる必要があるように思えて仕方がありません。


教育ってなんでしょう。

理想の教育って何なのでしょう?