「10%???そんなに低いんですか?」
「日本では移植手術の成功例がほとんどありません。この病院ならよくて10%、成功例がある医師なら30%、アメリカへ行けば50%の確率になります。ただ・・・」
医師の顔つきが変わり、神妙な面持ちでゆっくりと口を開いた
「仮に手術が成功してとしても、野球を再開するのは現実的に厳しいです。それにアメリカへ行くにしても飛行機
での移動は身体への影響が強く、今のままでは不可能かと・・・」
悠哉は言葉が出てこなかった
何をどうあがいても自分は二度とマウンドはおろか、グランドに立つことはない。
それを意味する医師の言葉は悠哉を奈落の底へと落とした
病室に戻っても悠哉は現実を受け入れられなかった
━それから一週間
悠哉はほとんどものを口にしていなかった
そして、一言も言葉はおろか声すら発しず、ただあの準決勝のウイニングボールを手にしたまま横たわっていた。
悠哉の両親は何とか元気を出させようと色々工夫して接していたが、何一つとして効果はなかった
悠哉はいつも持ち前の明るい性格で周りの人間を笑わせていて、先輩にも可愛がられていた
学力の方は平均点の前後を行ったり来たりする程度だが
友達思いで彼の事を好かない人はいないほどだった。
それに親に対しても「反抗期」などという言葉は見当たらず、親孝行をする
素晴らしい16歳の高校一年生だった
しかし、今の悠哉にその姿はなかった
そんな中である日、医師が病室にやってきた
「悠哉君、手術の事はどうするかね?」
「・・・受けません」
息子の返答を聞いた父が口を開いた
「悠哉、受ける受けないはお前の判断だが、一つ言っておくぞ。お金の事とかで・・・」
「違う」
父の言葉を悠哉が遮った
「野球が出来ない以上生きててもあまり意味がなく感じる。だからあと一年ぐらいは生きたいし、無理して受ける
必要はないと思ったんだ。それにテレビみたいに奇跡が起きて4,5年生きちゃうかもしれないジャン」
医師も、両親もその言葉に頷いた
なぜなら、その時の悠哉の顔はあの頃の顔だったからだ
そして、一週間後に悠哉は退院した
もちろん、あの頃の元気を取り戻して
その後は野球部のマネージャーに就任し
自分の経験を生かしたアドバイスをチームメイトに向け送り続けた
そのアドバイスは同級生に留まらず、後輩や先輩にも影響を及ぼした
━2年後
「水木悠哉、卒業おめでとう」
卒業式の舞台で悠哉は堂々と証書を受け取った
いつ発作が起きてもおかしくない状況だが一回もそんな事は起きずに
2年間を過ごした
野球部は2年連続で二回戦敗退となってしまっtが、悠哉には未練は何もなかった
そして、絶望と思われ続けた就職も最後の最後で内定が出た
当然の如く、面接を受けた会社には病気の事はしっかりと話した
そんな中で内偵を出してくれた企業側に悠哉は心から感謝していた
これが水木悠哉の高校生活だった