何だか、勢いだけで提出されてしまった。マスコミは、これに伴う、民主党内のゴタゴタと分裂騒動で大騒ぎしているが、事の本質はそういうことではない。


小沢派がどんなに活気づこうと、「刑事被告人」であることに変わりないし(肝心の裁判の情報が不足しているが、水谷建設側の証人からは不利な証言が続いており、弁護側も相当に苦労する筈だ)、国民の側から見れば、菅首相批判は尤もだが、”お前が言うか?”というところだろう。野党にしたって、不信任案に賛成してくれるから、といって、おいそれと小沢取り込みが出来よう筈もない。


50人だ、何だ、といったところで、現時点で80人弱の与党側からの賛成票が必要で、ハードルが高いことには変わりない。その意味で、現在、提出した自・公・たち日にしてみれば、否決された場合の責任の取り方も明確にされておくべきであって(何しろ、震災・原発事故の復興途上の重要局面での「重大決断」なんだから)、最も残念なのは特に:



自民党・谷垣総裁が、総裁の職を賭して、難局に立ち向かう



という姿勢が今一つ鮮明になっていないことだろう。はっきり言えば、彼が党首討論で突きつけた言葉は、私が約1か月前に街頭・選挙演説で有権者に訴えたことと何も変わりないし、言葉の鋭さでは、私の方がより明確だったと自負している。天下の大政党、旧・政権与党の代表者としては、やはり攻撃力不足は否めない。



また、どうやら、社民党と共産党は棄権・欠席に回るようだ。賛否は兎も角、有権者に付託されたバッジを付けている者たちが、この重要事項について、賛否を明確にせず、欠席棄権という職務放棄を決めたことについても、もっと批判は為されるべきだ。



賛否はそれぞれの立場だが、目指すべき政策目標があるのであれば、いずれかの陣営に対して、そうした要求を突き付け、協力工作をトライするのが本筋だろう。結局のところ、両党は、そうした政策目標の欠落を露呈しただけではないか?



更に、有権者側にも問題はある。マスコミ報道ではあるが、被災者の多くが、不信任案提出について批判をしているようである。



内閣不信任案:「被災地に目向けて」怒りとあきらめの声
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110602k0000m040050000c.html?inb=yt


情報が欠落しているため、理解不足に基づく批判の側面は否めないが、そもそもこういう事態に陥ったのは、まさしく被災者の方々が実感されている「政府対応のマズさ、遅さ」である。最初に批判されるべきは菅政権であって、不信任案提出のやむなきに至った野党ではない。



キツい言い方をすれば、被災者の中には、黙っていても何とかしてくれる、という甘えがあるのではないか?自分たちが適切な対応を受けていないと思うのであれば、主権者として声を大にして政治を動かそうと努力すべきである。そのための、不信任案提出という好機であって、怒りの向け方は、これもやはり誤っていると言うべきだろう。