茶番の後の、後味の悪いゴタゴタが続いている。もちろん、発端は菅首相の”辞める詐欺”ではあるが、そもそも憲政の常道として旧来から言われている;



首相は解散時期と公定歩合については嘘を言ってよい



という格言(?)に準じているとも考えてよい。何時かは辞めるだろうが、何時辞める、については嘘でもよいのだ。



野党もそうだし、民主党の反菅陣営も、今更ガタガタ言っても始まらない。政治というゲームで彼らは負けたのである。



そもそも、内閣不信任案の提出のいきさつとして、直接的な起因となったのは、国会会期の不延長とそれに伴う2次補正の不提出だった筈だ。会期を延長し(場合によっては年末まで!)、2次補正の指示をした以上、先ずはいったんその成り行きを見るしかない。



ここで自民党が会期延長に消極的になったり、あるいは参院での問責を検討しても何の効果もない。理由はどうあれ、衆院での不信任案否決は、即、信任の確認である。それは伝家の宝刀の、両刃さで、最初からリスク認識していたではないか?



未だに自民党が敗北の理由を検証し、責任問題を論じないのもおかしい。



民主党・反菅陣営もそうだが、結局、ポスト菅として国民が震災復興と原発事故収束に信頼をもって支持できる人間を提示しきれなかった。ましてや、具体的な復旧プランも提示されていない。大島氏が長々と説明した、不信任案提出理由は、単なる悪口の羅列に過ぎなかった。



谷垣総裁は、政権交代後、2年程度にわたって、何度も政権追い込みのチャンスがあったにも拘わらず、それを逃し続けてきた。そのツケが今、まわっているだけだ。最早、この総裁の下では再生はおぼつかないだろう。民主党の死んだフリ作戦、は初めてのことではない。小沢代表辞任、鳩山首相辞任、と2度も同じ手口を使われていたのだ。3度目も引っ掛かるとは、それだけで、再度の政権交代を通じて、国政を担わせる資質を疑わせるには十分だ。



鳩山前首相も同罪である。ペテン師呼ばわりするが、普天間基地問題での「存在しなかった腹案」や、「首相辞任後の政界引退⇒政治的権力放棄」は国民へのペテンであった。いや、それに先立つ、「鳩山母からの子ども手当問題」だって、十二分にペテンであったではないか?他人を騙しておいて、自分が騙されたら怒る、というのは子ども並みの神経だ。いや、子どもに失礼か?



原口氏のテレビへの度重なる露出もいい加減、寒々しい。結局、この人も弄ばれただけの人だ。子どもの命、というが、守れる力の無い人に過ぎない。自身の無力さを呪えばいいだけの話。



いまの、国会にいる人たちは、いずれも、負けを負けとして認めない、潔さを持たない人たちである。どんなスポーツであれ、審判の誤審はある。それを試合後にあぁだ、こうだ、と言っていても、負けは負けなのだ。何も生まれないではないか。



国民は乱闘シーンを見たいのではない。素晴らしいゲームを見たいのである。



政治においては、それは取りも直さず、「政策同士のつばぜり合い」である。多数の国民の命が掛かっている。