菅首相の辞任時期を巡って、様々な”さや当て”発言が続く中、『期限付き大連立』という、しょーもない、発想が巷を闊歩し始めた。


これこそが(日本の)政治の貧困さを象徴するとしか言いようが無いが、何しろ『中庸を好む日本人の気質』にはピッタンコはまるもんだから、一気に有力化してしまった。


この発想の何が貧困か?といえば、そもそも、菅降ろしを皆でやりながら、結局誰も「俺ならこうやる!責任もって日本の復興を果たす!」と言う人間(というか、政治家)が出てこないところにある。結局のところ、


- 政策発想能力の貧困さ


- 重大局面に当って、責任感の無さ


を露呈しているに過ぎない。まさに、昔の『赤信号、みんなで渡れば怖くない』という、悪しき全体主義の発現であって、なんだか、みんな一緒にやろうという妙チクリンな「みんな、みんな」主義なのだ。ちなみに、「みんなの党」というネーミングの貧困さも共通する。揚げ足取り、と言われるかもしれないが、毎度おなじみ:


『みんな、って誰だよ?』


という感じなのだ。お子さんをお持ちのご家庭であれば誰しも経験しているだろうし、自身の子ども時代にも味わっているだろうが、「みんな持ってるもん、みんなやってるもん」と言えば、なんとなく許されるという”空気”に支配されている。


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しかも、実質的に、この”みんな発想”とそれに基づく、期限付き大連立構想、が如何にアホか?といえば、結局のところ;


『震災復興、という内政問題しか目が向いていない』


ところにある。そう、いかに日本国内において震災復興や原発事故収束が最重要課題といえども、世界の政治、国際政治は待ってくれないのである。


事実、昨年から始まった、イスラム圏のドタバタや、それに続くイスラエル問題(オバマ大統領発言は緊張をもたらしつつある)、そして身近なところでも中国と北朝鮮の最近の動きはどうなるか?など、国際政治において日本にとっても重要課題は山積している。


菅首相が辞任するのが8月だろうが、来年初めだろうが、みんなで寄ってたかって、レイムダック状態に陥れ(もちろん本人にも責任はあるが)、さらにその後は「期限付き」である。国際政治において日本の存在はこの間、「空白期間」を産んでしまう。誰が期限付きの責任者とマトモに議論しようとするだろうか?


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菅首相が嫌い、はおそらく大抵の人がそう思っているだろう。しかし、だからといって、不信任案決議は否決されたのだ。その負けを何時までも引き摺っているいても、日本の政治は進展しない。そしてこの間、不利益を被るのは国民である。


先日も書いた通り、負けを負けと認めぬ潔さに欠落した与野党の政治家連中が、これまた責任感も欠如した大連立構想を振りかざして権力闘争したところで、誰も得をしない。


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戦前であれば、ここに軍部が台頭してきたところだろう。政党政治の腐敗から軍国主義は生まれた。


日本人は、いまだにこの教訓を活かしきれていない。結局、『いつか来た道』なんだろうか?