簿記とか、経理とか、関係している人間は多い筈だが、さらにこれが「会計(特に会計学)」となると、必ずしも深部まで理解されているとは思われない。実際に会社で伝票を切っている人ですら、何でそういう伝票切るの?と尋ねられたら、”そうしなさいと言われているから””そうすることになっているから”という程度の理解だろう。



売上とか利益、さらに損失、と言っても、それは人間が【認識】して初めて成り立つのであって、極めて概念的だ。



たとえば、売上ひとつ取っても、実際に”売上”までのプロセスは複雑だ。



顧客・取引先と商談を行い、紆余曲折を経て気に入ってもらって注文を受ける。契約書が介在することもあるし、見積書や発注書など様々な書類は飛び交うが契約書には至らないことも多い。そして注文された品やサービスを納入して代金を払ってもらう(ときにこの順序は逆になる)のが一般的な流れだと思うが、さて、では何時の時点をもって売上を立てるか?



考え方としては大きく、3つある。即ち;



1.契約時


2.納入(納品)時


3.代金受領時



一般には契約だけではキャンセルされる場合もあるし、契約履行の確定とは言い難いので2.の納品時(特に、納品書に相手からの品物などの確認をしてもらってサインをしてもらうなど、「検収」と言われることがある)を採るだろうし、比較的小規模の会社や取引においては現金主義を採って3.の代金受領時とすることも多い。



さらに、【損失】となると、認識は複雑さを増す。一般には、中間となる原料や仕掛商品を買ってきて、製造・加工などを経て販売され、販売されるまでは例え仕入先に代金を払って完了していても、原料在庫や棚卸商品という形で”資産”計上されていて、対応する売り上げが立ってから初めて仕入商品という勘定科目などで損金処理される。もちろん、これも小規模の会社や小規模取引では現金主義を採って、仕入れ先に代金を払った時点で損金処理することもあるし、社員の給与など一般経費も同様。さらに、企業活動を遂行するうえで必要な借入金の金利のように”発生主義”(原則として借り入れている間、毎日、支払利息が少しずつ計上される)などもある。



しかし、原則としては、【費用収益対応原則】が働き、売上利益と原価損金とは同一時点で為されるのが一般的。



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比較的簡易な商取引でも、会計認識という点では様々な考え方が成り立つ。ましてや、金融商品や金融取引となると更に複雑性が増す。



90年代後半、いわゆる金融ビッグバンというものがあって、外為の自由化や認可業務の届け出制移行など、様々な改革が為された。と、同時に、この時期は会計的にも【会計ビッグバン】の時期であり、時価会計の導入・連結中心主義など、様々な会計上の変革がもたらされた。退職金や企業年金などの退職給付会計も大きく変更された。



これらの変革は基本的には、企業会計の透明性の向上、国際比較可能性の向上、など様々な目的をもって導入されたのだが、どんな変革であれそうであるように、実際には激変緩和の観点から一定の期間にわたる漸進的導入が図られたり、原則には例外が付き物であったり、など、必ずしも教科書的にスッキリ為された訳ではない。後世、人によっては『抜け道』とかループホールとか呼ばれることがあるが、それは後講釈に過ぎない。現在でも未だ例外項目は幾つもあるのである




そもそも企業が株の投資や様々な金融商品に手を出すこと、そのものを禁じる法律は無いし、基本的には経営の自由である。そして、そうした相場性のある取引を行う上で;



いつ、利益確定するか、損失確定するか?



というのは単に経営判断であって、結果的に損失となったから、といって批判されるべきものでもない。



そして、相場性がある、ということは、上がるも八卦、下がるも八卦、であって、確率的には2分の1だ。そもそも、金融商品の価格とは売る人と買う人が同量存在して初めて成り立つのだから。



そして、相場格言として『まだはもうなり、もうは未だなり』だとか、『下手のナンピン』などと言われるが、ナンピンによる買い増し(即ち、エクスポージャの拡大と、それが結果として損失を膨らますことになっても)は投資戦略として否定されているものでもない。



例えば、株の世界では良く言われることであるが、資金的に無限量の資金投入が出来るのであれば、株を購入すること・買い持ちすること(つまり、ロングポジション)は永遠に損失を出さない。下がれば買えばいいだけのことで、いずれ売る人がいなくなれば、理論上は株価は青天井である。



もちろん、実際には無限量の資金投下を出来る人間は誰もおらず、どこかに限界はあるものだが、企業財務活動として為される上においては、その企業の資金調達能力の判断など、極めて高度な経営判断に基づく。



これを後講釈で、様々な批判を行う人、というのは、余程、高度な投資戦略と技術を持っている人なのだろうか?