「ガマン」から「マ」を抜くと「ガン」になります。

だから僕は、「間抜けな我慢は癌になる」と講演会で言ってます。

すると、講演会に来られた方で癌で苦しんでいる人、

もしくは家族で癌にかかっている人が参加している場合は、すごく嫌な顔をします。


でもこれは、どんなに嫌がっても真実なのですね。

つまり人間は、我慢すると病気になる生き物なのです。


実は我慢にも二通りあります。

それは、「前向きの我慢」と「後ろ向きの我慢」です。


「前向きの我慢」の場合は、人は病気になりません。

むしろその我慢はやる気となり、そして発展へとつながります。


では「後ろ向きの我慢」とは?

それは…


「その我慢を続けていても、未来には何の意味を持たないもの」

…と自分で思った時です。

つまり、発展も、夢も、希望もない我慢を強いられている…と思った時に、

即座に「後ろ向きの我慢」となります。


例を挙げると…

「いくら頑張って仕事しても、会社は認めてくれない」

「一生懸命、家族のために尽くしているのに、“ありがとう”の一言ももらえない」

「治る見込みがないのに、リハビリを強いられていると自分で思っている」

「自分はこうあらねばならないのに、現実はそうなっていない」

「人はこうすべきなのに、そのことをやっていない」

「毎日が忙し過ぎて、精神的に参っている」

「常に怒っている」

「常にイライラしている」

「常に人のせいにしている」

無理と無茶ばかりしている」・・・

※赤字はあとで詳しく説明します。


キリがありませんね。

これを「間抜けなガマン」と言って、これを続けていると、いつかは必ず病気になってしまいます。

免疫力が落ちてしまって、身体が暴走してしまうんです。


車には、ハンドルとブレーキには必ず「遊び」というものがあります。

もしこれに「遊び」がないと大事故を起こしてしまいます。

隣の助手席の人にちょっと突かれただけで、ハンドルが動いてしまうからですね。


ブレーキも同じです。

ちょっと踏み込んだだけで急ブレーキがかかったら、後続車が衝突してしまいます。


心もこれと同じで、自分に全く余裕がないと大病になってしまうんです。

この「遊び」…つまり余裕のことも「間(マ)」と言います。


お釈迦さまが悟ったのは、実は村娘が歌っていた詩と言われています。


『弦の音は強く締めれば糸が切れ、弱くても音色が悪い…』


この村娘の名前は「スジャータ」と言います。

あのコーヒーミルクの名前ですね。


お釈迦さまが無茶な修業(間抜けなガマン)をしていて、

あまりにも骨と皮ばかりだったので、

スジャータが乳粥を差し出した由来から来ています。


実はドイツのヒトラーも、「人間が我慢をし続けたらどうなるか?」の生体実験をしてるんですね。

ユダヤ人を使って…

これがトヨタを一流会社にした要因にもなってるんです。


長くなり過ぎるので、また今度の機会に(笑)。。。


では、今日の「希望を叶える言葉」4。


いつも心の中がどんより曇っている人。


たまに雨も降って、ずぶ濡れになっている人。


雷鳴も轟き、もうこの世も終わりかと思っている人。


でもそれが、

未来に向かって希望のある道であれば、

いずれは雨もやみ、

その雨によって綺麗な七色の虹も顔を出します。


虹を見たければ雨も必要なのです。