いつも病院が近くなったり
手術してから何ヵ月になるとなると
手術前の自分と手術後の自分を思い出す。

考える。

振り返る。


手術する前は
もー何もかもやり直したい
そんな感じだった。

言いたい放題言ったりしてた。

気持ちをおさえきれず
自分コントロールできなくなってた。

マイナスなことばかり。


病院すら嫌になってたりも…。

出かけたらすぐに発作を起こす。

ストレスをためてしまい発作を起こす。

環境が変わり発作を起こす。

そんなことの繰り返し。


薬も飲み過ぎているって
今の病院で言われた。

そして何よりもあのニュース。

同じ病気を持った人が事故を起こしてから
あたしの周りではいろいろ起きてた。

それを言えずにいた。

てんかんと話すと
「あの意識なくしてあわふくやつでしょ?」
とさんざん言われてた。

あのニュースあるまえから。

みんなに分かってもらいたいわけじゃないが
きちんとした知識だけは知ってほしい。


そんなふうに思った。

いろいろあってから
あたしは話さなくなったりもしてた。

そんな日々が続いて
薬を飲んでいても頻繁に発作が起きていて
限界だったために
検査入院をしてすべてを調べてもらった。

そしたら
あたしの場合は
どんなてんかんだかすぐにわかった。

だが
同じ時に検査入院してた人の中には
分からず退院していった人や
何度も入院している人もいた。

複雑だった。

それからは退院して
そのころは一番新しい薬でちょっと落ち着いていたために様子を見るとなった。

しかし
慣れてきたころには
落ち着いてた発作が頻繁に起きるようになってた。

そのため
すぐに手術するための話に。

あたしが通っているところには
手術できる専門医は一人だけ。

その外科医の先生に会い
手術の方法やどこを手術するとか話を聞いた。

難治性だと言われたころから
難治性の人たちのこれから先の治療方針の話し合いをしていて
そこであたしの場合は手術しても大丈夫だとなっていたらしい。

それから手術にむけ
検査して手術に!


治るんだったらと思い
自分で決めたこと。

親は心配だったらしい。


でも
これ以上みんなの前で発作を起こして迷惑かけたくなかった。

手術して治る確率はだいたい90%だった。

あとは合併症であったり。

一番は精神的な病気らしい。


それでも手術を。

手術して手術する前よりよくなるんだったら
なんかたぶん楽しいことが待っているような気がした。

まだまだ問題があったとしても。


先に進めると思った。


手術できない人もたくさんいる中で
いろいろ考えた。

本当に良いのだろうかと思ったりも。


でも
一番は
てんかんを持っていても
普通に暮らせることをみんなに知ってもらうこと。

中学時代はしょっちゅう倒れていたために障害者と言う言葉を毎日使われていた。

それがいじめに。


手術したあとなんか世界が違ってみえた。

完治したわけじゃない。
まだまだこれからも闘っていきます。





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