去年、
ひいおばあちゃんが無くなった時に書いた記事を載せマス。

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7月2日
相方の祖母が亡くなった。

近くに住んでいたから子供達も小さい頃から沢山遊んでもらった。
明るくておおらかなおばあちゃんは
私達家族にとっても、とても大切で大きな存在だった。


足が悪く、腿に幾つもボルトを入れていたおばあちゃん。
ここ数年は車椅子の生活をしていた。

これまで数回転倒して入退院をを繰り返していた事が悪循環になっていたように思う。
だんだん自力で歩く事は少なくなって行った。
それでも沢山の孫やひ孫に囲まれておばあちゃんの周りはいつも誰かがいて賑やかだった。
年をとったら、
「こんな風に皆に囲まれたいな」
といつもそう思いながらおばあちゃんを見てた。


深夜、おばあちゃんは転倒して3カ所も骨折してしまう。
脳梗塞も起こしてしまった。
私たちが会いに行った時、ICUに入っていた。

辛そうに見えた。
酸素マスク越しに話しかけてくれようとした事も何度かあったけど
おばあちゃんの言葉はは聞き取りづらく全部を理解してあげられなかった。



アタシは相方と出会ってからずっとおばあちゃんと沢山お話してきた。
毎週末、会って、笑って、御飯を食べて
色々な相談事もした。

アタシのおばあちゃんは関西にいてしょっちゅう会えない。
だから結婚した時、
相方のおばあちゃんを本当のおばあちゃんみたいに大事にしたいと思ったっけ。
アタシが相方のおばあちゃんを大事に思うように、
関西にいるおばあちゃんも側にいる誰かに大事に想われているといいなと思って
そう決めたっけ。


チビ達は産まれたときから、
言葉では言い表せられないくらいのものをいっぱいもらった。

おばあちゃんの周りで3人ともきゃっきゃと遊んでいた。
いくら騒いでも、泣いても、笑っても
「賑やかいねえ」
と、車椅子をチビに押されながら笑ってくれていたっけ。



いつも

 「良い風に使途ねてある。3人とも可愛い良い子だ。」

そう褒めてくれたっけ。



3人産んで、育てて、主婦になればなるほど
誰かに認めてもらう事なんて殆ど無くなってくる日常だけど
アタシはおばあちゃんのこの言葉に幾度か助けられたな。

子育てについて、ヨユーに見えるアタシみたいだけど(実際ヨユーだけど)
おばあちゃんは理解してくれていたように思う。

チビに囲まれて、もみくちゃな時期も
おばあちゃんが太鼓判押してくれたから
『これでいいんだ』
って気が楽になった。

おばあちゃんの優しい気持ちは
子育てを目一杯楽しめる大きな要因になってた。
亡くなる直前も
「良い子達だ」
と褒めてくれたのを覚えてる。



半年経ってもまだ実感が無い。
いつもの場所におばあちゃんが座っていそうに感じてしまう。


お通夜や告別式は辛い作業だった。
きっと、こういう気持ちに折り合いを付ける為にも必要なんだろうけど辛かった。
朝起きて夢であってくれたらいいのにと今もまだ思う。