魔の2歳児、大絶賛開催中の娘を相手にヘロヘロの日々を送ってます、どーも。

まだ20ヶ月のクセして、
・履く靴は毎日自分で選ぶ
・洋服のジッパーは自分でやりたい(出来なくて癇癪)
・自分の伝えたい事が伝わらないと癇癪
・着ていく上着がその日の気分と違うと癇癪
・自分の使ってるおもちゃをお友達が触ると叩く
・更にそれを注意すると怒って私を叩く


などなど。

1日が終わると精神的にヘトヘト。

夫は週の半分以上出張だし実質、平日母子家庭状態ですわ。

そんなわけで時間経ち過ぎましたが、中途半端で終わるのもなんなので旅の続きを。

雨続きのクロアチアを後に、無計画で向かったのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ。

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボと言えば、第一次世界大戦が勃発するきっかけとなった場所。

更に、約20年前にはユーゴスラビア紛争があった場所。

一度は見てみたいと思っていたので、クロアチアの悪天候での計画変更&自由気ままな車旅行、と言う好条件。行ってみるしかないでしょー!ってなわけで決定。

クロアチアからボスニア国境は、初の高速の国境ではなく、普通の道で越えることに。

ものすっごい渋滞。30分は待ったでしょうか。

実はお手洗いに行きたかったのですが、治安が悪そう・・・で行けず

そして、あと2台で私たちの番と言う時に夫が「げっ、、、ヤバイ!!前回出張で来た時に、パスポートの他に車の保険加入証明書だけは絶対に必要って言われたんだった、、、」とか言い出しましてね。

今ですかーっ

夫の車、まだ我が家にやって来て日が浅いため、保険には当然加入してるのですがその証明書とやらがまだ手元に届いておらず。

ダメ元で私たちの番を待ち、パスポートのみを提出すると、ボスニア語でなにやら色々言ってくる。

わからないと言うと、「グリーンカード!」と。いや、ないんですがと答えると今度は大声で
グリーンカードぉぉぉっっっ!
と怒鳴られ、夫婦でビビる(笑)
車を端に寄せられ、まぁ、最後は25ユーロ払って簡易保険を払って事なきを得ましたが。

マジで怖かった

引き返そうかと、ボスニア行くのは間違いだったんじゃないかと思いましたよ。

そして道中。

ボスニアに入った途端、完全に異文化、異宗教。

モスクが沢山。

そして、周りにはドイツのナンバープレートを下げてる車はもちろん、旧ユーゴスラビアのナンバープレート以外の車が走ってない、、、。

更に言えば、うちの車(高級車ではない)がどう見てもかなり高級車の部類ってくらい、オンボロ車ばかり。

ヤバイ雰囲気。

ちなみに、私は目にしませんでしたが、ボスニアには地方都市に行くと未だに、地雷注意の看板があるそうです。

始終緊張しっぱなしのまま、やっとサラエボに到着。

ホテルからはこんな眺め。
{22509F05-B218-4AFA-A889-E3192334B498:01}

そしてカフェはこんな。
{E4099D52-38EB-4A3A-A242-A060CA7B4D9C:01}


完全にトルコの様です。ちなみにこのコーヒーは、どう見てもトルココーヒーですが、名前はボスニアンコーヒーでした(笑)

街中には未だに戦争の爪痕(弾痕)も沢山。
{CEB0426C-8636-477C-8E9C-856727F836E0:01}


こちら、オーストリア皇太子、フランツ・フェルディナントが暗殺された橋。
{2A7672B5-35CE-43B7-BCFE-E6B846CABE6A:01}


ボスニアは、治安があまり良くなさそうなものの、人はみんな親切で温かかったです。アジア人は全然見かけなかったのに、街行く人が私たちをジロジロ見る事もなく、娘に笑いかけてくれたり。

また機会があったら行きたいです。

サラエボに1泊した後は今度はセルビアのベオグラードへ。

ここは特筆することなし(笑)

ちなみに、ボスニアでの治安の悪さは、車上荒らしやひったくりな感じでしたが、セルビアはまた違った治安の悪さを感じました。何と言うか、一歩間違えた道に入ったら刺されそうとか、そんな感じ。

こじんまりしたサラエボとは違い、それなりに大きな都市ですが、温かみのない雰囲気にジロジロ見られる不愉快っぷり。

ベオグラードに行くことはもうないかな。

ベオグラードの後は、私の愛憎の街、ハンガリーのブダペストへ。

人は不親切だし、治安も良くないし、嫌な思い出も満載だし、でもどっかで大嫌いになれない、私にとってはそんな街。

ブダペストの時の同僚であり、私の為に一緒に上司に抗議してくれたり、短い間だったけど分かり合えた、大事な友達のステキな結婚式に出席してから私たちの総走行距離5,200kmの旅はおしまい。

長々と失礼しましたー。