阪神淡路大震災から23年が経ちました。
この震災では6434人が亡くなられています。
震災の日に生まれた赤ちゃんは今、23歳
Kも23歳です。
23年の年月が経っても、心の傷が癒えない被災者の方は大勢いらっしゃると思います。
その記憶や教訓を、阪神淡路大震災を知らない自分たち世代が知って、次の世代につなげていくことが、亡くなられた方や被災者の哀しみを無にしないことになるんだろうと思います。
そして、東日本大震災
Kは16歳でした。
東日本大震災の死者・行方不明者は1万8454人
宮城県だけで9541人が亡くなりました。
静岡の高校生だったKは、震災直後に宮城県の南三陸町と女川町に行っています。
そのときのことと伊野ちゃんの震災への思いについては以前、「高校生だった3月11日」という記事に書きましたが、あの日、目にした衝撃的な光景は今も目に焼き付いています。
その宮城県を応援する観光キャンペーンキャラクターにHey!Say!JUMPが就任します。
最近、三浦英之さんの「南三陸日記」という本を読みました。
三浦さんは2011年5月から1年間、南三陸町の駐在記者として、震災後の被災地の日常や被災者の心の小さな変化を描いた同名コラムを朝日新聞に週一で連載していました。本は当時の連載を単行本にまとめたものです。
南三陸に行ったせいもあるのか、高校生の頃、新聞のこの連載を欠かさず読んでいて、なぜ夢中で読んでいたのかも忘れていたのですが、たまたま古本屋で見つけ、懐かしいなあと思って手に取りました。
6年ぶりに読むと、胸が締め付けられ、なぜか涙が止まりませんでした。
新聞記事で泣くなんて初めてだ、と思いました。
描かれる被災者の日常が、1万8454人それぞれに人生があったこと、命の大切さ、本当の復興とは何かを静かに深く考えさせるのですが、読んでいて、はっとしました。
思い出したのです。
初めてではない、俺は高校生の時もこの記事を読んで泣いていたではないかと
当時の気持ちとともに気付いたのは、自分の心の中でも震災が風化していたという事実でした。
会見で光君は「復興のために何か僕たちにできることがないかとずっと考えてきた。キャンペーンという形で宮城の力になることができるチャンスが来た。皆さんの力になれるよう頑張っていきたい」と語ったそうです。
私たちは地震の国に住んでいます。
南海トラフ巨大地震では、最悪の場合、静岡県だけで10万人が亡くなるとされています。
JUMPの力で宮城県へ観光に行く人が増えればいいし、そこまでできない人も、JUMPをきっかけに、震災を忘れないことの大切さを考える人が少しでも増えればいいなと思います。