アメリカでの経験は、

英語が出来なければ戦えない。

戦えない、戦う気のない奴はラウンドに立つ権利もない。日本に帰れ。

つまり、そこまでの奴。

自分の身は自分で守る。それが世界。

だった。


そんなこんなの日。

友人と海に出かけた、友人の一眼レフをかり、ばしゃばしゃ写真を撮っていた。

そんな時、友人の姿を顔より下を写した。

写真の構図は、人物と、人物の影、そして波。

凄くいい構図だった。

私は自分の姿ではないにしても、上出来な写真にその友人とその写真をみて喜んだ。

次の日、愕然とした。。。

その友人のSNSに私がとった、あの写真が、

友人の名前が写真に明記されてた形で、友人のSNSに「昨日撮った写真」と書かれ、掲載されていた。

友人は写真部の部長までした人、周りの人からイイネをおされ。「これコンテストにだしたら?」とまでいわれていた。

私は唖然とした。。。。それ、、私が撮ったものでしょ。。。と。

私は、

「今すぐに、あの写真を載せるのをやめて」といったところ、友人からの返答はこうだった。

「Photoshopで著作を自分にした。あなたは私のカメラでとって、USBは私のもの。あなたはシャッターを押しただけ、著作は自分のものになるから。掲載をつづける。」

これは明らかに支離滅裂な言い訳にすぎないけれど。

これが日本ではない世界でおこなわれてること。

日本の常識は、世界の非常識。

皆が皆、話のわかる人ではない。むしろその逆が世界。

みんないい人なのは、日本の常識。

話せばわかるっていうのは日本だけ。


そして、自分が撮った自信の作品が、人のものになって、友人の作品として礼賛され、なにも出来ない自分ってこんな気持ちなんだ。。っておもった。

凄く悔しかった。

この気持ちは忘れてはいけないし、写真一枚でこんなことになるのなら、特許、商標だったらどんな事態になっているんだろう。とおもった。

日本人は権利という言葉に疎い。

そして

あなたの作品。

あなたの創作物。

それは、あなたの一部。

こういう感覚が当たり前すぎて疎いとおもう。

そんな当たり前のなか、正しいことは、正しい、ダメなものはダメ、と言えるようになりたいと、弁理士を目指した。

のかな。。。

先日、全く知らない、弁理士の方から、叩かれた。

「お前の言ってること、青臭くて、そんなことやってない。ばーーか!」てきなことをいわれた。

確かに、実際弁理士の方とお話させていただいても、私が「こんなことをやりたい!」っていうことを直にやられてる方はいない。

もしかしたら、弁理士とは、私の想うもののようなものではないかもしれない。

でも、私は自分の想いを自分の軸として、一部でも関われれば私の想いは叶ったのと同然と思っている。

なにが悪い!これが私じゃー。

と意気込むが。。。

頑張れ、わたし。