この「どげんかせんといかん」という言葉は東国原英夫氏が地元宮崎をどうにかしないといけない!という意味で使った言葉として有名になりました。

まさに私はこの「どげんかせんといかん!」を最近のフレーズに十日町の織物のことをはじめております。


私は、アメリカから帰って来た時に一番、感動したのは。

水道の水が普通に飲める、そして美味しいことと、そしてトイレが詰まらない。ということでした。


日本人の独特の感性や技術がもたらしたものだな。。と思いました。


じゃーその凄さを日本人が実感しているか?というと答えはNO

じゃーその凄さをnot日本人が知っているか?というと答えはNO

日本人は当たり前すぎて、凄いことだということを知らないんだなぁ。。とおもいました。


本題の十日町という点では。

日本有数の織物の産地だった。しかし、バブル以降着物を着る機会もへり、注文も減った。

そのことで町中はすっかり閑散。。

そしてこの様子をみて。

「どげんかせんといかん!」と立ち上がったわたしである。

着物をそのまま海外にたしても、そして日本市場にだしても。

文化性の強い物であり、いったん売れなくなってしまった日本市場で再度売るということは望めない。

ならば、織物から着物ではなく。織物から別の形にすればいいと考えた。


すったもんだ奮闘は続く~~