正直、ここにかくかすごく迷ったけれど、とりあえず初七日過ぎたし、

ほんのりおちついてきた気がするから書けると思う。



大好きな菊間のおばあちゃんがこの世から去りました。

ちょっとずつ食べられなくなって結局最後は意識戻らなかった。

小さいころ、両親の事情でおばあちゃんとこで暮らしたこと。

毎日お母さんが恋しくて泣きわめいていた。そんななかおばあちゃんは

私にたくさんの愛情を注いでくれた。

離れて暮らすようになっても電話をくれたね。

私から切るのが嫌で、いつまーででも繋いでいた電話。

運動会や、ピアノの発表会行事にはいつもかけつけてくれた。

お正月にはいつもよりも豪華にお寿司の出前をとって年越しを迎えるの。

小豆こしらえてくれて、誰がつくったのよりも美味しかった。

そんななか、専門に行くことになり、おばあちゃんのところから通うようになった。

もう、歳も歳なのに、いきなり住み込んでたくさんの心配と迷惑をかけたのに、

いっつも褒めてくれた。

私は、そんな大きな愛情につつまれていたのに、いっこもおうちのことなんか

手伝わないでバイトに明け暮れていた。

そんな3年間をすごし、社会人になり一人暮らしをした。

家のありがたさ、誰かがいる楽しさを身に染みている。

小見川のおばあちゃんが亡くなった時も、菊間のおばあちゃんを見ると、

なんか安心した。

なのに、菊間にはほとんど遊びにいかず、社会人をすごした。

最後に喋ったのは一週刊前。

ほんとに体力が落ちていた。だけど、おじいちゃんと二人仲良く暮らしていた。

いつも、出かけるときは見えなくなるまで見送ってくれたね。

いつも私の好きなもの揃えて待っていてくれたね。

いつだったか、今までの私たちの写真を大事そうに見せてくれたこと、

大切にされているって改めて気づかされてすごく涙がでたんだ。


なんにもできないままこの世から去ってしまった。

病院にかけつけた時にはもう、あいまいな状況だったけど、懸命に生きようとしていた。

だって、おじいちゃんより先にいってしまうなんて、だめなんだよ。

でも、よっかたのは、ほとんど苦しまずに亡くなれたこと。

おばあちゃんの顔は、とてもいい笑顔だったんだ。


おばあちゃんの遺影の写真は私が成人式の前撮りをしたときに一緒にとった写真を引き伸ばした

ものなんだ。みんながいい笑顔だねっていってくれると、

なんだか嬉しくなるんだ。


残ったおじいちゃんは認知症になりかけてきている。

おばあちゃんに孝行できなかった分、私の仕事を生かして

サポートしていくよ。

おばあちゃんはみんなに優しかったから天国いき確定です。

ほんとうに今までありがとう!