放置しっぱなしのわがブログ。


でも、どうにも自分の気持ちを開放できる場所がなくて


ぽつっと書いちゃいます。















仕事に追われて、自分の時間など皆無な日々を過ごしておりましたが、


実家の父母が寂しがるので、有給を取って帰省しました。


主人は《アベノミクス》効果でしょうか、


例年にない忙しさで休暇がとれませんでしたので、


子ども達と新幹線で帰省しました。


両親はとても喜んでくれましたが、


高齢で自営業の我が家。


世間の好景気とは裏腹に、生活は厳しいようでした。


両親の経営には常々疑問を持っておりまして、


こんな綱渡り経営ではいけないと口を挟んできたのですが、


面倒な事から逃げてしまう両親に呆れながらも


関係悪化を恐れて、それ以上強く言えませんでした。


しかしながら、両親伴に日本人の平均寿命に達し、


大きな借金を抱えたままの経営に目をつぶることはできず、


余計な事を言ってしまいました。


大雑把に言うならばこんなこと。




世の中の人々は、自分の人生の終焉に向けて


少しずつでも準備して行くのだ。


貴方方はいったいどうするつもりなのか


このままでいけば、私や妹に負の遺産が被って来るばかりでなく


残されたゴミの山を整理しなくてはならない。


それを処理するだけの経済力は我が家にはない。


もう何度も同じような話をしてきたが、


10年も20年もはぐらかされてきた。


そろそろ建設的な話し合いをしなくてはならない。





簡単にいうとこんな事でした。


母は、急にキレました。


悲鳴のような叫びをあげながら、私を怒鳴りました。


そして、子どもなんて産まなければよかったと言いました。


あんたは私達を捨てて、東京に出て行ったんだと言いました。




おそらく本心ではないのでしょう。


私が《つぼ》をついてしまったのだと思います。


このほかにも、子どもなら聞きたくない親の言葉を


死ぬほど聞かされました。





あの時の母親の顔は、まるで般若のようでした。


私は全身の震えが止まりませんでした。


年寄りの強がりだとはわかっていても・・・。


『申し訳ないけど、今日を限りで縁を切らせてもらうから。


もちろん相続も放棄します。』


絶縁宣言してきました。


初めての絶縁宣言に、母は『上等だ!!』と怒鳴っていましたが、


私はまったくひるみませんでした。







今までにも、派手な親子喧嘩は何度かありましたが、


今回ばかりは修復不能だと感じています。


何故なら…もうかかわらないんだと思った瞬間


帰れる故郷が今日なくなった寂しさもありましたが、


その何倍もの安堵感が私を包んだからです。


帰れる場所がなくなった緊張感はありましたが、


なんだか呪縛から解かれた開放感のほうが強かった。



ずっとずっと感じていた束縛感から、私は解き放たれたと感じています。






今頃父と母は、夫婦喧嘩をしているのかもしれません。


でも、私は後悔していません。


何十年も連れ添った夫婦でありながら


ずっと本質に触れることなくごまかしてきた結果が今日なのです。


世間から見たら、恐ろしく親不孝な娘ですが


絶対に必要な一石を投じた自負があります。




こんな時、いつも思うのが


《長女は辛いなぁ・・・。》


きつい事を言ったり、嫌われることを言ったりするのはいつも私。


妹は優しい言葉をかけて寄り添うだけの役回り。


細かく書くなら、誕生日にリボンのついたプレゼントを渡すのが妹。


灯油をくみ、水を汲み、枯れ木を切り取るのが私。


姉妹二人とも、両親の事を心配していた気持ちに差はないのですが


なんだかいつもいいとこ取りされてるみたいな嫉妬が


なかったと言えば嘘になるのかも。





本当に絶縁となれば、もう二度と会うこともない。


骨を拾う事もありませんし、その逆もしかりです。


でも、長女として、しなくてはいけない仕事をしたと思ってます。





つくずく嫌な役回りですね…。


涙が止まりませんよ。