4年前の春分の日の午後3時5分に、脳出血を発症。しかしその時は、こんな状態になるなんて思いもしませんでした。
友人のお父さんが、入院した日だったので、病院までの一番近いルートをパソコンで検索して確認。
その後、大正琴の仲間に録音機を手渡す為に準備。夫が散髪に行った直後、
左の手のひらに熱せられた鉄の溶液を浴びせられたような気がたので、友人に家に来て貰うように要請。
友人は、「呂律が回ってないから救急車を呼んで~」と、電話が切れました。
仕方なく相談するつもりで、119しました。救急車は5分後に来てくれました。
娘はお墓まいりに行ってましたが、連絡がつきました。MRIに入るまでは、一生懸命に症状を喋っていたと、記憶しています。
数時間眠っていました。
目が覚めると遠くに住んでる息子も来てくれてました。脳幹まで拡がると死を覚悟して下さい。今晩が山ですと言われたそうですが、その病院に心筋梗塞の時、手術をして下さったハートセンターの主治医がいたので、治療中の薬が判っていたので、すぐに処置して下さったようです。
手厚い看護を受けました。動けないけど心は充分満たされていました。

その後、リハビリ病院に転院して、地獄のような5ヶ月の入院生活が始まりました。
その時の気持ちは、今でも悔しい日々でした。
OTさん、PTさんたちのリハビリの先生には、厳しくも温かく見守って下さり感謝しています~。(*^_^*)


退院後は自宅近くに半日の、リハビリステーションがオープンして、地域のネットワーク委員さんの強い勧めがあり、リハビリを受けることが出来て、身体機能の改善を図っています。

装具を付けて失敗した時も、バンテージで歩く感覚を取り戻してくれました。
良き相談者でもある機能訓練士さんです。


明日から5年目に向かってボチボチと歩んで行きます。