★拡張型心筋症・重度脳委縮 発生時の回想記★1全ての起源はここから。 | かや&とものブログ

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拡張型心筋症+WPW症候群+重度脳萎縮+難治性てんかんを患う4歳の息子を中心にしたブログです。


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上記写真は入院2週間前の息子。

この時は健康そのもので、この後に大変な事が起こる

なんて予想もしていませんでした・・・。ダウン



改めて息子についてとっても長くなるが書き綴ろう。


今から四ヶ月前。それは旦那の誕生日だった。




テレビをつけると、献血のCMを撮影している、「血液が慢性的に足りない」と訴えている。


大変な世の中だとぼんやり考えていた。


実は、その前日に近くの惣菜屋へ行った時、心臓移植のための募金箱と、


そのお子さんの写真が貼ってあり、移植をするような子どもが身近にいる事に、驚きながら、


移植など、遠い世界の話だ。 と、どこか他人事に思っていた。




傍らには生後6ヶ月になる息子がいて、彼も泣いたり、笑ったりいつもと同じ様子 


そんな息子の様子がいつもより少し変だなと、気がついたのは昼頃。




抱き抱えても、泣き止まない。下ろすと泣き止む。そして、おしっこもなんとなく出ていない。

なんだろう?はてなマーク


風邪引いたのかな?でも熱は全くないし?


一昨日ヒブと肺炎球菌の予防接種に行った時も何も言われなかった。


と様子を見ながら、夕方5時過ぎに病院に連れていった。


普段は一時間近く待つ病院が、その日に限ってがら空きだった。




医者は、ウイルス性の風邪かな?とRSウイルスや、インフルエンザの検査をしたがどれも違う。


聴診器を当てたら胸の音がゼーゼしてるから、念のためレントゲン取りましょう。


と、レントゲンを撮る事になった。小さい町の小児科でレントゲンを撮るなんて、滅多に無い事だ。




撮影後、暫くして医者の元に行くと、医者は血相を変えて私に告げた。


「お母さん、レントゲンが真っ白で何も写っていません。息子さんは心臓病の可能性があります」と。


更に


「今すぐ大きな病院に行って、入院しなきゃいけない。お母さん今から入院出来ますか?」と医師は言う。




そんな事を急に言われても、私のバックには財布と携帯とおむつしかなく、


「家に帰って準備する時間はありますか?」と聞くと


「ありません!今すぐです!」と。




わけがわからないまま、子供を抱き抱えて、病院が準備してくれたタクシーで次の病院泣きながら向かった。




病院を出る時に看護婦さんから「レントゲン取ってもらって良かったですね!」と言われたが、


確かに普段の病院の混み具合ならば、レントゲンを取ることは無く、心臓病も分からなかったかもしれない。


病院に着くと、医師が2名待っていた。息子の顔を見るなり年配の医師が


「こりゃ悪いね…。お母さんお子さんの顔色悪いの分かる?いつから?お父さん呼んでる?呼んでない

の!?」と聞いてくる。




こちらとしては、いつからも無く、普段の顔色だし、那も呼ばなきゃいけないような状況??と、

混乱しており、返答出来ずにいた。すると。

「わからないんだね…。お子さん、命に関わる重大な心臓病があるんです」と宣告された。






慌てて旦那に電話を掛けて呼び出し、息子を抱えて処置室へ移動した。移動中、ふと鏡を見ると、ついさっきまで何時もの顔色だったのが真っ青に変わっていた。事の重大さに気がついた瞬間だった。






処置室では、医師からレントゲンを見せられ、説明を受けた。

レントゲンが真っ白なのは心臓が通常の10倍近くまで拡大していたため。

さらに、体の末梢へ血液が送れなくなっていて、手足が氷のように冷たかった


慌ててやってきた主人と別室で待たされる事になり、何度か医師が部屋を訪れ説明をした。

病名は「拡張型心筋症」による、うっ血性心不全。更に、不整脈のWPW症候群を伴っていた。


全て聞いたことない病名ばかりで、何もかも信じられなかった。




かなりの心不全状態だったため、(心臓が弱って動かなくなっている状態)強心剤と

ステロイドを打ち、輸血をする。入院期間は1ヶ月~6ヶ月と言われた。

拡張型心筋症の原因は不明で、10万人に1人の確率で発症する病気。

更に、最終的に心臓移植しかない。




そんな説明を受けながら、遠くで息子が泣き叫ぶ声がしていて、私も、ただ泣くばかりの

呆然自失。


医師はそれを見てか

「お母さん、今からこの子には沢山の苦しい、痛い思いをさせることになる。そこでお母さんにも頑張ってもらわなきゃいけないんですよ!」と声をかけてくれた…。


確かに、この後数日後、人工呼吸器で点滴を常時12本付け、毎日の採血とレントゲン撮影。

更には24時間睡眠薬で鎮静させられる事になるなどとは夢にも思わなかったが。


わけが解らぬまま、2時間後息子と再開する事になった。




泣き叫んでいた息子は、睡眠薬で眠っていた。足元には輸血の管があり、世の中の誰かが提供してくれた血液が彼の体に流れていっていた。


まさか、息子が輸血を受けるとは、前日にCMを見ている時には思いもしなかった。あの時はどこか遠くの他人事の話と捉えていたのに




「今日からここに入院です!」と、通された部屋を見て目を丸くした。

まるで物置小屋。


ナースステーションに一番近い「観察室」という部屋だったが、色んな備品も散乱していて、即席で作られた緊急室だしか思えない。

きっと数日後にはちゃんとした部屋に移動できるとばかり考えていた。

(結局容態が良くなることは無くて、その部屋から移動することはなかったが。)




翌日、何事もなかったかのように息子は元気になっていた。

しかし、点滴と酸素は鼻へと伝っている。

でも、玩具を見れば、手を伸ばそうとするし、危篤だった状態からは見た感じ回復したように思えた。

「何事もなく、退院出来るのではないか?

心臓病なんて実は一時的な物で、さらっと治るのではないか

入院期間も長くて半年と言われたが、1か月くらいで退院できるのでは」


と、どこか都合の良い方向に考えていた




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入院当日の息子。