★拡張型心筋症・重度脳委縮 発生時の回想記 ★2 | かや&とものブログ

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拡張型心筋症+WPW症候群+重度脳萎縮+難治性てんかんを患う4歳の息子を中心にしたブログです。

危ない状態から一夜開けて、息子は元気になったように見えた。


両手は点滴しているくせに、

その手を振り上げて、玩具を触ろうとする。


治療は上手くいっていると思っていた。

退院はきっと1ヶ月程度に過ぎないはずだと、思い込んでいた。




タナトリルという薬で点滴治療を初めて二日目。


それは日曜日の事 基本的には医師が居ない日だった。


昼過ぎから段々と息子の顔色が青ざめていた。


「またあの危篤の時と同じ顔色をしている!」と、

「お母さん、お子さんの顔色悪いの分かる?」と言われた時を思い出した。


また命が危なくなるんじゃないかと恐ろしくなって、胸のざわつきが止まらない。。

でも、看護師も、主人も、誰も息子の異変には気付いておらず

私は自分の見ている息子を「私の思い過ごしだ」と無理やり押し付けていた。

自分の事が信用できなかったのだ。


ただ、息子のあくびが終始止まらない事も不思議で、看護師たちと

「あくびが多いねー。眠たいのかな??」と話していた。


そして、おしっこの量も昼過ぎから極度に減っていた。


(この時には、まさか息子の重度脳障害を引き起こしていたとは

夢にも思わなかったが・・・。この時、脳に行く血流や酸素が低下していたと思われる。

恐らく、薬の副作用で血圧が低下し、重篤な状態に陥ったのだろう。

退院後に同じタナトリルという薬を服用したところ、翌日から全身に発疹が

出たため急きょ薬を変更してもらった。 確実な証拠はないけれど、薬の副作用が

無ければ 脳の重度委縮も起こらず、障害は持たずにすんだのに・・と今でも悔やむ)



数時間後、血圧が低下し、緊急で休日中の医師を呼ぶことになった。


周りの看護婦たちが集まって、皆オロオロしていて、

私は何が理由で再び命が危うくなったのか全く分からなかった。


病院に居れば、大丈夫だと慢心していた。


休みの医師が呼び出されたのか慌ててやって来て、緊急で血圧を上げる薬等を投与。


一先ず命はまたまや助かった。

しかし、明らかに医師も急激な変化に戸惑っていたし、

翌日には担当の看護婦さんが「死ぬかと思った、怖かった」と泣いていた。


目の前で患者が亡くなりそうになる事など、あまり無いのかもしれない。

しかし、看護婦さんの涙を見てそれほど危ない状況だったんだと改めて痛感した





一山乗り越えて、もう何も起こらないだろうとおもっていた矢先、ふと見ると息子の体に多少の湿疹が出来ていた。

その時には医師3名が智晴の担当だったが、皆「分からない」と、首を傾げる。


日に日に湿疹は全身を覆い、まるで全身火傷の状態だった。


心臓病のチームでは分からず、免疫系の医師が様子を見に来たが、これまた分からないと言う。


敵が見えなければ、対処のしようがないと医師は頭を抱えていた。




そんな中、入院2週間目にして、呼吸をしているだけでも体に負担がかかっていると判断され、

人工呼吸器を装着する事になった。さらに、人工呼吸を付けると、声を出すことも出来なくなるといわれた。

産まれて数ヶ月の我が子が、自分で呼吸出来なくなる日がくるなんて…私は想像もしていなかった。

医師の宣告にまた酷く落ち込んだ。




人工呼吸をするまでは、四六時中泣きわめいていた息子は、24時間点滴で鎮静させられた。


更には胃を使う事すら体力の消耗に繋がるため、ミルクも中止になり、栄養材の点滴のみになった。


原因不明に医師が頭を抱えていたいた頃、肝臓も通常サイズの5倍ほどになり、

腎臓も機能がおかしくなっていた。


その頃、担当医師3名、看護婦長、主人と私で息子を囲んで突如医師からの宣告がされた。

もう、何度目の宣告だろう。


「息子さんは何らかの原因で、DIC(播種性血管内凝固症候群)という状態に陥っており、

所謂多臓器不全で死亡する可能性がある」と



何度も命失い掛けて、また生き延びて、安心したらまた危ないと言われて。

もう、毎日が理解できない状態だった。



本来ならばよちよち歩きをし始めて、おっぱいも沢山飲める頃だろう。


この頃、母乳を飲むだけでも心臓に負担がかかるので、(母乳を飲む行為は


子どもにとって大変な運動量なのです)


母乳は飲めず、お腹が減って泣くと心拍数が上がる という悪循環だった。


でも、結局は母乳を飲む行為も禁止となり、チューブから胃に流すようになり、


最終的には母乳を胃に入れる事すら危険とされ、(そこに血液や酸素を送るため)


黄色い栄養剤を流すようになった。


また、毎朝(下手すると夜も)採決をするために注射をするのだが、


これがまた痛そうで、私たちはその度に部屋から出されていた。


何が悲しくて、5か月の子が毎日注射針を刺さなければならないんだろう。


と、内心悲しくてたまらなかった。


抱っこをしてあげたくても、管だらけで抱くことすらできない。


一緒にいるのに、何も力になれない。無力感だけが募っていった。