曽野綾子 苦しみもまた一つの恵みである (本より抜粋) | かや&とものブログ

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拡張型心筋症+WPW症候群+重度脳萎縮+難治性てんかんを患う4歳の息子を中心にしたブログです。

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曽野綾子の著書 「私を変えた聖書の言葉」より


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苦しみもまた、一つの恵みだ 


という言葉は真実なのだが、


これほど口にできにくいものものない。


他人が苦しんでいる時に、はたでこう言ったら、


これほど同情のないものはないし、


自分で苦しんでいる側で、他人にそう言われたら


腹が立つに決まっている。


それにも拘わらず、それが真実であることが私には辛い。


承認したくはないのだが、少なくとも、


楽より苦が、平凡な人間を考え深くするという現実は、


恐らく信仰のあるなしに拘わらず 認めざるをえないであろう。


平凡な人は、楽な時にも、常に暗い極限を見得えるであろう。」


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私はキリスト教徒でもありません。 仏教でもないし。


何か特定の宗教に入っているわけでもありません。


ですので、「キリストの言葉」だ「仏陀の言葉」「○○の言った言葉」


など、誰が言ったかに 興味はありません。 


「発せられた言葉そのもの」に共鳴するか、


共感できるか が大切にしている部分です。


曽野綾子さんは昔からチョクチョク読んでいますが、


中でも気に入ったのが上記の文でした。



先日、息子と同じ病気などを患い、心臓移植をした4歳の男の子が亡くなりました。


お葬式の前に対面させてもらいましたが、小さな男の子の亡骸は、何度目にしても


悲しみしかおこらず、寂しさと、虚しさと、どうしようもなささが心に積もりました。


勿論、ご両親の悲しみや、苦しみに比べる事も出来ませんが、


「親よりも子供が早く死ぬ」事、更には「幼い乳幼児の死」痛みは相当なものです。


さらに、彼は息子の心臓病が発覚する直前に出会っていて、


私は勝手ながら運命的なものを感じていました。


10万人に一人の割合の、珍しい心臓病の子の写真をみた翌日、


息子も同じ病気であると宣告された、その奇遇性には目を丸くするばかりです。


そしてまた、私の姉も4歳のころ心臓病で亡くなりました。


(姉の亡くなった時の事、私は産まれる前で、何も知りませんが)


でも、目の前の幼子の亡骸と、姉の亡骸が重なり、


母の想いと、その子のお母様の想い、息子との奇遇性、


色んな事が重なって、言葉を失いました。



命があって、生きている だからこそ 喜びも感じられるし、


悲しみも感じられる。


そういう意味で曽野さんの言葉


「苦しみもまた一つの喜びである」に


深く共感しました。


生きているからこそ「苦しみも感じられる わけです


いつかは誰しも肉体を失います。


でも、その日までは喜びも、苦しみも受け止めて、


浮き沈みも経験しながら、


命ある事に感謝して 生きていこうと思います。



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写真がうまく載らなかったーあせる