親の期限を感じてるか感じてないか | しららさんちの日常

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ミニチュアダックスそら(2021年死去)とトイプードルのアクア(2023年死去)、猫の清麿(2014年死去)と小雪、2012年に618gの超低出生体重児で生まれた子供との日常の記録

自分の親のことではなくて、みぃの親としての話です。
アメンバー限定にしようかどうしようか悩んだんですが、限定ではない範囲で書きます。

この前、幼稚園の二人のママ友と公園で話してた時のこと。

うちも含め二人とも娘しかいないママだったんです。
で、一人は上に小学2年生の子もいる。
そこで、小学2年生のいるママから、どこまで一人で行ったりやったりを許可するかと悩むいう話になったんですよね。

昨今、変な人というか、欲望をぶつける方が出没する(いや、本当は昔もいたけどな)ため、女の子であるがゆえに、悩むと。

うん、それはわかる…。

わかるんですが、
どうも二人が話してるのをきいてると、何かとても違和感というか、賛同出来ない感を感じて相槌で誤魔化すことになりました。

それは、ずっと見守る、ずっと守っていける訳ではないという実感の違いでした。

私、みぃが2歳の時に手術しました。それは、この先平均で10年もたせる手術です。
もちろん長くもつ人もいて、20年もってる人もいます。
が、平均ですので、必ず10年補償ではありません。短い人は短いわけです。

それがダメになった時、治療がないわけではありません。
というより、どっちかというと、延命という意味ではそっちが主流です。

実は私はそちらも経験済み…。
妊娠7ヶ月(※8か月目で出産)~産後1ヶ月という、3ヶ月のみですが。

そして手術の時は心臓の位置が少し横になってて不整脈にとられる(機械が)と言われましたが、まぁ無事手術も乗り切ったので、そうであることにしてますがね、
妊娠前にそんなことなかったことは、出産前後に心臓付近に水が貯まったせいでずれたかなということにして。
妊娠中のその治療中、たびたび意識が遠退いたのも、二人分の血を作っている心臓の負担が治療への負荷となってたということにして。

でもね…
実はここのところ、時々心臓の鼓動が早くなることがあります。そして、きゅーとなる。
心臓があまり丈夫でないところを受け継いだ(祖母と、祖父の妹もそうだったのだ)妹と母が言う、時々なるという症状が実感としてわかるようになってしまった。
※ただし、妹も母も心電図には出ません。なので、ずっと母は皆そうだと思ってたんですって。50過ぎで時々じゃなくておかしくなり、弁膜症と言われて動けなくなることまでいくまで。
気が遠くなるやつも、かつてあの治療中に経験したしな…。

因果関係は証明されてませんが、その私の病の主流の治療をうけた後(数年後ではなく、1日以内)で心臓発作で亡くなる人多いという統計あるんですよ~。

こんな理由から、手術したのがダメになって、今度そっちになったら、私ヤバイかもなーと思っているのです。切実に。

なので、私、みぃが自ら親の手を外して生きていこうとする、出来るところまでは、
せめて法律上そうなれる成人までは、
母という存在としてこの世に存在してやりたいと思ってるんだが、
それで手術を決意したわけなのだが、
希望と願望はあるけど、そこに自信はないのだ。

だから、みぃの自立時期を考えてます。
自分はどうなんだという人生を送ってきたのに、自分のように夫のように、親の援助(色んな意味の)はみぃに与えてやれん。
やりたいけど、現実問題として、期限がな…そんなにあると思えないのです。

そんなワタクシ。
話してたママ達の、子離れが出来るのか…には全く共感出来なかった。
いつまでも見守れ…そうにない。というか、成人さえ、待てないかもしれんのだもの。

実質はどうあれ、子離れはすでに覚悟?済みなわけだからさ。物理的に強制的に子離れする覚悟なわけだが…。

あー、そういうの普通は幼稚園や小学生低学年の親じゃ全くないのか…と、気がつきました。一般的意見でないとわかるがゆえ、私が出来たのは、無言と首肯くのみで…
参ったねー。

娘だから心配だし、人懐っこいので、本当に心配ですが、
小学生になったら、親の手を借りずに何かする、一人で行く、そういう経験をあんまり制限したくない、だが、心配だ。
でも、…下手すると…。私はいつまで一緒に行ってやれるか…。
うーむ。

ママ友達の会話をちゃんときいてるふりしつつ、どこかできき流しながら、
私は、いつからどこまでにするかを頭の中で考え込んじゃったよ。

まだ幼稚園児。いつでも一緒でいい。
時々鬱陶しくもあるけれど(買い物は一人で行きたい~、余計なもの買うことになるし、時間制かかるし)、
まだ自立を、手を離す度合いを、具体的に考えなくてもいい。

でも、来年からは小学生。
確かに考えないとならないのは共感はするわ。なので、そこは共感したわ(ちゃんと口にも出したよ)。
でも、微妙に何かが違ってて、それは親である自分の命の期限を意識してるかの違い。

…ごめんねとも思う、みぃには。
だって、普通はないもんな。
でも、私の腹に宿ったということは、これ込みなのである。仕方ない、とも思う。
発達障害ちっくな問題もあるので、ただでさえ色々と苦労しそうな思春期。なのに、それだけじゃすまないね。
人より本当に大変な10代になりそうな、みぃさんである。

言えることは1つだ。
ガンバレ。もがいても傷ついても、自分なり状況対処方法や判断基準をいつか見つけて、逞しく生きるんだよ。

これはまだ大人(精神的にの意味もある)になりきる前においていくことになりそうな母の願い。