日本国有鉄道(国鉄)
埼京線(愛称)
は、何故開通したのか

其ノ参

大宮駅~上野駅・東京駅間は
当初、地下を走る計画であった新幹線

それが地上(高架)を走る(通過)事になり

新幹線が通過する沿線住民である
東京都北区
埼玉県戸田市
埼玉県浦和市
埼玉県与野市
埼玉県大宮市
からは
大反対運動が起こる事となる

なお
埼玉県・浦和市・与野市・大宮市・は、2001年5月1日に合併して、現在は、さいたま市である

それは
凄まじい…
と言っても過言ではないくらいの大反対運動であった

通過予定地の沿線には、数えきれない程の
「新幹線反対」
の立て看板等が掲げられていた
いたる所に
「新幹線反対」
の文字

それを見れば
どれだけの反対運動であったかが一目瞭然であった

騒音問題
日照権
等の環境問題

更に
立ち退き
等、様々な問題があったからだ

「与野に新幹線は要らないのだ!」

良く行っていた与野市では、このような強烈な立て看板もあったのが印象的だった

“暴動”
でも起きるのではないかと思ったくらいだった


そして最後は…
「強制施行」
という残念な結果になってしまうのだった

東京都北区では
最後まで立ち退きを拒否していた民家に、強制施行のための作業員が入る
泣き叫んで拒否する子供までをも放り出す作業員

この様子がテレビのニュースで流れた時は、何とも言えない気持ちになった

“新幹線”
と言う
「国家的事業」
その
「国家的事業」

いや
「政治的事業」
と言った方が良いのかもしれない

その
「政治的事業」

一般庶民は勝てなかった…
のだ…

とても残念でならなかった…


この
「強制施行」
これは、東京都北区だけではなかった…


ただ
それらを黙って見ている沿線住民ではなかった


新幹線通過の見返りとして
沿線住民が国鉄に要求した事…


それは…



其ノ肆に続く


弐千弐拾年拾月拾壱日



岩瀬憲太郎