日本国有鉄道(国鉄)
埼京線(愛称)
は 何故開通したのか

其ノ肆

ただ
それらを黙って見ている沿線住民ではなかった

新幹線通過の見返りとして
沿線住民が当時の国鉄に要求した
3つの条件…とは…


それは…

1.騒音対策としての速度規制
(上野~大宮間、時速110キロ以下での走行)


2.高架橋片側20メートルの環境空間(埼玉県内のみ)


そして3つ目が…

新幹線高架沿いに
新たに、通勤新線を開通させる事

以上の3点であった


これにより
1985年 昭和60年 9月30日
赤羽駅~大宮駅間に開通したのが
埼京線(愛称)
正式線路名称
東北本線(東北本線・別線)である

当時としては異例の開通であったであろう


赤羽駅~大宮駅間の駅数は
当初
都内北区2駅
戸田市内2駅
浦和市内1駅
与野市内2駅
の7駅の予定だったが

当時は各地で駅増築ラッシュの時期
また、沿線住民への配慮等で
都内北区2駅
戸田市内3駅
浦和市内2駅
与野市内3駅
の10駅となった
駅間は、山手線並みの短距離区間に建設
異例のサービスぶりと言っても良いだろう

当時、郷ひろみ氏が唄っていた
国鉄のキャンペーンソング
「2億4千万の瞳」
このサビの部分の
「エキゾチック」が
「駅増築」に聞こえる
とか
「エキゾチックジャパン」が
「駅増築ジャパン」に聞こえるとか
「駅増築じゃあ~バーン」
に聞こえるとか
様々な皮肉を言われたものだが…
埼京線(愛称)も例外ではなかったようだ

「駅増築」で
「収入」が
どれだけ
「増築」
したのかは定かではないが…
相当
「増築」
したであろう

さらに
快速と通勤快速を走らせる、というサービスぶりであった


このようにして
埼京線(愛称)は開通したのだ

沿線住民の手によって開通したと言っても過言ではない…


開通初日
初めて鉄道が通った戸田市では、花火が上がったという

鉄道が走り、市内に駅が出来る事は、戸田市にとって念願だったのであろう


そして、まさかそれが…

1985年 昭和60年 9月30日
の開通から34年後の
2019年11月30日

「ダイヤ改正」
ならぬ
埼京線(愛称)開通史上最悪な
「ダイヤ改悪」
をされようとは、誰も予想だにしなかった…


其ノ伍に続く


弐千弐拾年拾月拾陸日


岩瀬憲太郎