入院生活の為、手元に母の入院日記がなく更新できずにいますが、思い出した時、すぐその記憶を残せるようにと、「母のこと」をテーマに書いていきたいと思います。
備忘録みたいな感じ。。

母の精神保健福祉手帳を交付してもらうのに、リハビリ期の病院の医師に書いてもらった診断書には「社会活動に参加できる」欄には「できない」と書かれてた。

これを見て、少しとんちんかんだったりするけど、母の根幹は変わってないと願っていた私には現実をどーんと突き詰められたみたいで、ショックだった。

母は倒れる前に様々な被害者救援のボランティアや仕事をしていた。そんな母がもう社会活動には参加できない?!倒れる前、歳を重ねて、なかなか仕事が見つからないとき「あーあ、何だか社会から疎外されてる感じ、悲しいなぁ」と嘆いていた母。これから脱け殻みたいな生活を送らせてしまうのではと切なかった。もしそうなら、母から「脱け殻」の自覚を奪ってくれるようにと願った 。そして、ただ、生きていて欲しいと願った自分を責めた

ようやく自宅に戻りちょっとずつ慣れてきたある日、母から電話。
「福島県から被災してきている子供たちに無料ステンドグラス教室を開いて、自分たちで作ったものをプレゼントしようと思うんだけど、どう思う?」(父が自営でステンドグラスを作ってるので。)

それを聞いて、私号泣。
母ポカーン「何であんたが泣くの?ん?」
私「いや、スゴいなとおもって。」
健康体の私なんか、自分のことで精一杯。
きっと全部を母が企画、運営したわけではないだろうけど、乗り気じゃない父を説得し、当日は子供たちを招待し、うまくいった様子。母も嬉しそうだった。

病院、グループホームにいる頃は問題行動も多かったけど、自宅に帰ったらびっくりするくらい改善した母。
環境ってほんとに大切なんだなと実感した。本人にとって一番ストレスの少ないところが大切なんだと。

自慢の母でした