大変ご無沙汰しています!
日々更新していないにも関わらず多くの方が訪れてくださり、なんだか申し訳なく思います。

我が家はここシンガポールで元気に過ごしています。
真夜中に目がはっと覚めて、みんな寝ているのに足音が聞こえ。。あー母が傍にいてくれていると感じながらの、これはこれで幸せな毎日を送っています。
あ、母が生きていてくれたらなおよしなのですが笑

最近ふと思ったことがあり、今回はそれを書きます。

母がくも膜下出血を発症した後色々な人に会うとき、最初は母がくも膜下出血を発症した事実を相手に伝えることに私はかなり抵抗をもっていました。
母はくも膜下出血を起こしたことも感じさせないくらい昔と同じようにいてほしかったのか、相手にそういう風に思ってもらいたかったのか。。どんな気持ちでそうだったのかはわからないのですが、母の病気を私自身が受け止めきていなかったのかもしれません。

でもある時気づきました

母がくも膜下出血を発症し、その後遺症で記憶障害があったり、遂行機能障害があったりする、とはっきりと言った方が相手からも理解を得られやすいということに気づきました。
話した相手が、「ああ、そうなの」で終わればまぁそれまでの関係だなと割り切れますし、「じゃあ、こんな感じで話した方がお母さんには理解しやすいかしら」とか何らか理解を示してくださる方には何だか色々母の回復につながるお願いをしても大丈夫かな、とか。。

駅や街の至る所で、きちんと母のことを話せば理解してくださる方がたくさんいらっしゃいました。あ!時には東京駅の新幹線の車掌さんにもそうやって話してました。

母は手持ちがなくても買い物に行くーということもしたりしていたので、もしその時お金がないのに買い物しようとした時は警察を呼ぶとかではなく私に連絡をくださればすぐに送金する、という話もしていました

普通はお金ないのにごはん食べたり買い物したら犯罪と思われてしまいますが、母は後遺症でそういうことができないのだと。。そういう話しを聞いて下さり、理解してくださる方のお店を母には「ここは親切なお店だよ」と紹介したりもして。。

発症後の母には私自身、元に戻ってほしい、よりも母が尊厳をもちつつも楽しい余生を送ってほしいとの思いが強かったのかもしれません。

何だか支離滅裂なブログすみません。
でも心身障害の方が住みやすい街づくりって障害者の方側からも働きがけが必要なんだなーと個人的には思い、このブログを書きました