こちらのブログをかなり放置していました。。。 私ども一家は何事もなく、こちらで元気に?すごしています!! 実はシンガポールに来てから友人関係で悩んだ時、母が夢で私のことを「さくら、大好きだよ、見守ってるよ」と抱きしめてくれたり、娘が誰もいないところで動いた遊具に対して「ばあば、あそこにいる」と指差したり、 何度かブログを書こうかなと思ったときはあったのですがなかなか筆をとらずに、いや入力をせずにいました。 ブログでお知り合いになれた方は皆様お元気のご様子を遠巻きながらブログで拝読したりしていました(コメント、いいねができていなかった方すみません) 最近の悩み、それは『アイデンティティ』です 母が健在なときの私。中学、高校、大学の頃はそれなりに母に反抗もしていました。 母の言っていたことが正しかったとは分かっていたのですが、それを受け入れたくないみたいな。きっと誰しもが通る『反抗期』だったのだと思います。 自分が一度離職して地元に戻ってから、急速に母との距離が縮まりました。 自分にとっては、何でも話せる、自分のどんな嫌な部分をさらけ出したとしても、『それはさくら、おかしいね』と指摘しながらもそれでもいつも変わらず私の応援団、味方でいてくれる、そんな私には友達のような、もちろん友達以上のようなそんな存在でした。 そして母が倒れて、私の存在があれば母は落ち着いていてくれる私を頼ってくれるという事実が私のアイデンティティでもありました。 亡くなった後は、「誰しも、単純順番的に考えたら親が先に亡くなるものだ」と自分を納得させようとしていました。 でも、やっぱり私の人生には母が必要だと最近痛感するのです。 言葉では説明しにくいのですが 『私は何をしているのだろう』 とふとそんな気持ちになるのです。 ふわふわ浮いていて存在すらしていないような。。。 勿論、そうは言っても、娘のお世話は自分なりにしているつもりですがほんとにふとした時、自分が消えてしまいそうな、そんな気持ちになってしまうのです。 旦那にこの話をしたら『そりゃそうだよね、お母さんが亡くなった直後に娘が出来て、切迫流産、切迫早産とずっと気の抜けない時を過ごしてきて、ようやく少し落ち着いてきて時間ができたらそういう風に思うのも無理はないよ』と。 こんな話を聞いてくれる旦那に感謝です。でも、未だに『私は何のために今ここに存在しているのだろう』 そんな気持ちがどうしてもぬぐえないのです。 子供1人を育てているのにこんな気持ちになったらあかん!!と理性ではわかっているのですが。。。。