べつに泣き叫んでいるわけではないが、泣き叫ぶことも出来るのが人間であり、それは意識があるからだということが分かれば、その意識を反転させて、超越する強さにもすることが出来るのが人間であることも分かる。弱さの根拠が強さにもなる。そのとき、人間は「神」に面する存在であることも分かる。そして、自己は神から贈与されるという意味が。

 

 

高田博厚さんの信仰と「神」は、高田さん自身のものであり、キリスト教圏で培ったにしても、ヤスパースが「暗号」を求めたようなものであった。しかし日本にずっといた場合よりも、神を求めるその求め方ははるかに強かったろう。ぼくが気をつけなければならないと思うのはここなのである。積極的な神への志向が周囲にあることの強さである。