トワイライトに嵌っている
kicoriです!

ネタがばれちゃうので
嫌な人はスキップしてください(^-^)/



















えーー、ご存じの通り、
吸血鬼と人間の恋愛小説でございます(^▽^;)
若干、ハー○クイン小説か・・なんて思ったりして。


主人公のエドワード君の描写が美しくて
思わず惚れそう(〃∇〃)
なんて思っている面食いは、私でございます

さてさて・・本題はここから。

いつも思うのですが、「睡眠時間を半分に削ってまで
読みたいモノには何か後ろの方からのメッセージがある」と
私は考えているのです。


今回は、「共存」と「悪とされているもの」について
考えてました。

まず「共存」について。

このお話では、吸血鬼は人間の血を吸わないと約束する代わりに
人間社会でうまく暮らしている描写があります。
(あくまでも、話の中でですが)

人間で言うと、食事レストランを摂らないでいること。
それは最大の苦痛でしょう。
それを乗り越えて(あるいは別の方法で食事して)、
彼らは自制心を保って、人間と共存しています。

そのなかで、エドワード君の父親に当たる人は
最も簡単に「人間の血液」を手に入れられる病院で
医者として普通に生活していることになっているのですヨ(><;)
もちろん、普通の医者として働き、お食事はしません。

ホホ・・すごい精神力。

これは、小説の中のただの文章ですが
普通の(リアル)一般社会で比べてみると
法(約束)を守って共存することは
きっと同じ事なのですよね



それと後一つ、「悪とされているもの」
吸血鬼は悪の手先として考えられているけど
それは人間の決めつけたことであって
普通に共存したいと望む吸血鬼がいると言うこと。

悪の存在とされているものは 実は
人間の偏った考え方であって
光の存在であるとも考えられること。

うーーん、まとまっていないな・・

最近ルシフェル様と思われる方と
お話しする機会がございましてねぇ(-"-;A

そのときに、思ったのですよ。
「大天使タロットカードにどうして、ルシフェル様がいないんだろう。
 例えば 瞑想をしなさいってルシフェル様に言われるのは
 道理にかなっていそうだけどなぁ・・」

なーんて、偉そうに思ったのですよ(笑)

偏った見方をせず、「悪とされているもの」という
理由だけで、偏見を持ってしまうのはよくないと。


まぁ、私が日本人であって、特定の宗教を信仰せず、
ましてやキリスト教について、あまりに知らなさすぎるからかなぁ
とも思うのです。

そんなことを考えていたら、
「日本という、何でも人の考えをうまく
 とりいれる人種に生まれてきてよかった(´∀`)」
なんて事まで考えていました。

(もちろん、この後、「だって、おまえが選んだんだろ」
 と後ろの方に言われたのは言うまでもありません・・(-"-;A)





トワイライト=「夕暮れ時」「黄昏」

私が思うに、この本のタイトルを
日本語で言うなら、「逢う魔が時」ですかね、
いや、日本語ってキレイですねぇv(^-^)v