長年「ゲイの夫夫」という言葉を使い続けてきたまちゃるさんとこのブログ記事リブログさせていただきました。
きれいな桜の画像ありがとうございます(^^)北海道はまだ雪も残っていて桜の開花時期は一ヶ月ほど先になります。
ブログの最後の方にちっちゃく自身の幼少期の性被害についてまちゃるさんも書いていらっしゃいますが、LGBTの方はそういうのわりと多いんですよね
「(元々自分の中にそういう要素はあったのだけど)性被害に遭って目覚めてしまった」
というお話は夜のお店にお勤めのゲイ男性やニューハーフさんたちから私はよくお話を聞きました。
目覚めのきっかけは、「初恋」か「性被害に遭ったこと」であった人が多かったです。
夜働いている人たちは、お仕事上の営業トークとして笑い話にしてしまっていましたが、今の生き方に肯定的な人もいれば、「あの時性被害に遭わなければ…」という想いを抱き続けている人もいます。
幼少期に性的いたずらをされてしまったまちゃるさんは、自分がゲイであることに対して肯定的な生き方をしてきたように思われるけれども、
「いかなる理由や事情があったとしても、子供に性加害加えるような大人の男のナニはちょん切ってしまえ!」
と私は思っていますし、性犯罪再犯者の男性器の海綿体の一部にメスを入れて傷をつけ勃起できない状態にする刑罰の導入は本気で推奨したく思っております。
幼い子供に性的いたずらとか性加害加える大人は、ジャニーさんのこともそうだけど、決して許してはなりません!
田舎で性被害に遭うと再び襲われる恐怖があるし、執着されて逃れるために逃げ出さなければならなくなったりもするし、噂になることも怖かったりします。
実際問題、私は、私に性加害を加えた専務から逃がれるために、逃げ帰った実家からも離れざるを得なくなりましたから
私は自分で運転向いていないし運転すれば事故るのもわかっていたから、運転したくなくて運転免許証は取得する気はなかったので、短大卒業後札幌で就職したのですが、うつ落ちして札幌のアパートの部屋に引きこもってしまっていた時に実家へ連れ戻されてしまいました。
母に仕事も無理やり辞めさせられアパートの部屋も勝手に引き払われて実家へ連れ戻されて、親の意向でど田舎の実家から通勤できるようにマニュアル車の運転免許を取らされたのですが、
「免許は取れたけど、きみは運転しない方がいいんだけどね…」
と公安での試験合格して免許取れた日に私は自動車学校の担当教官に言われました。
自分も同乗者も他の車とか歩行者の安全も危うくなるような致命的な注意力不足と左右の手足を同時に違う動きをするということがかなり苦手…というよりも同時にはできない動作もあったからなんです。
仮免3回目でなんとか合格したけど、路上教習では運転に集中するとメーター見れないからスピードオーバーしてしまい「メーター見て!」と教官に何度も注意されました。
運転すると極度の緊張による首と肩のこりがつらくて、車から降りた後もものすごく疲れていました。酷いときは吐き気ももよおしました。
高校時代に通学のために乗っていた自転車で転んで砂利道の上で手をついてスライディング状態になり、手の平に12針も縫うケガを負ったこともあったので、正直言ってバイクには乗りたくありませんでした。今でもその時の傷痕は残ってます
自動車学校内のコースでスクーター講習もあったけど、私、角を曲がれず転んで膝擦りむき切れてるとこもあり血まみれになりましたその時の膝の切り傷も一部傷痕残っています
痛い目遭った私は、「二度とスクーターとかバイクの類には乗らない!」と決めました。
単独事故で私一人が死ぬだけならかまわないのですが、誰かを巻き添えにしてしまったり、轢いてしまったりするのは絶対に嫌だったのでバイクも車も運転したくはありませんでしたから
ただ、ペーパーテストだけは得意だったため、公安での試験は一発合格してしまい運転免許証は取れてしまいました。
昔、幼稚園児の姪っ子と一緒に遊んであげる時に「あっちむいてホイ」は本気で取り組んでも負けまくるし、「せっせのよいよいよい」のような手の動きが記憶できなくて自分が子供の頃からできなかった遊びは一緒に遊んであげることが出来ませんでした。
逆に、(私と一緒に遊びたいので)姪っ子が幼稚園でお友達と一緒に遊んでいる遊びを教えてくれようとしたのですが、大人になってから取り組んでみても私は覚えることが出来ませんでした
子供の頃から、ラジオ体操、お遊戯とかダンスとか、決まった動作や振付を正確に覚えるのが苦手で小学校の学芸会のお遊戯の練習とかがかなり苦痛でした。
数字の記憶、形状の記憶、位置の記憶が苦手で、車で送ってもらって買い物へ出かけると駐車場に止めた車まで一人で戻れないというのは、子供の頃だけじゃなくて今もなので困ることが多いです。
かなりの方向音痴なので初めて行く場所には、ほぼ間違いなく道に迷って目的地の周辺を1~2時間ほどぐるぐる歩き回ってました。(最近は、腰と膝が痛いので、すぐ近くでもたどりつけない場合はあきらめてタクシー乗ります)
待ち合わせや病院の予約時間は、(誰かが車で送ってくれなければ)必ず遅刻します。
時間の感覚が普通の人とずれているため、自分では10分あれば出来ると目算していたことが実際には30分以上かかってしまうとか、出かける支度をしている最中に作り置きの麦茶の容器を倒してしまい床を水浸しにしてしまうなどのアクシデントに見舞われ拭き掃除したり着替えたりしなくてはならなくなり、予想外に出かけられる状態になるまでに時間がかかってしまうことが多いです。
急いで支度していたら、うっかり室内の灯油ストーブの煙突に触ってしまってやけどしてしまい出かけられなくなってしまったこともありました。
ノートパソコンは、飲み物こぼした水没でダメにしたのは4台くらいあるし……
家族旅行などでホテルに泊まったら、部屋番号のメモ持ち歩かないと部屋番号を忘れたり間違った番号を記憶してしまっていたりして、一人で出かけるとお部屋へ戻れなくなります。
でも、温泉旅館で和名の「菊の間」的な意味のある文字の部屋名だと覚えられるので「(私が)意味のない数字の羅列」と認識した数字の記憶は出来ない脳なのかもしれません。
発音記号はまったく覚えられませんでした。違いがわからない?見分けがつかない?どう頑張っても記憶するコツがつかめませんでした
身内や友人知人の誕生日は覚えるの得意な方なんですけどね
小学生の頃は、ちょっとどんくさくてそそっかしくてよく転んだりちょっとしたケガをすることが多い普通の子扱いだったのですが、40過ぎのおばちゃんになってから「広汎性発達障害」とわかって「注意欠陥性障害」のせいで子供の頃からいろいろと努力してもみんなと同じように普通にできないことがあったんだと気づきましたし納得もしました。
私の場合は、そういう障害があるということはショックなことではなくて、わかったことによって安心した、わけわかんなくて納得のいかなかったことが「理由がわかって納得できてよかった」という気持ちの方が強かったんです。
努力でなんとかならない、能力的に私には難しいことがあるとわかったので対処法を考えて実行するようになりました。
私の母は、「出来ないことは出来るまで人の二倍、三倍努力しなさい」と言う人でした。
が、どうしても努力しても普通に出来ないことがいくつもある私を見限ったようで、ある時期から「いろんなことをみんなと同じように普通に出来るようにすることはあきらめて、勉強さえ出来れば良い」という方向性へ母は私に対する子育ての方針転換をしたようでした。
部屋で勉強をしていたら、家事や畑仕事の手伝いなどをあまりしなくても私は何も言われなくなりました。
学校で受ける知能テストの数値は姉妹の中では、私が一番低かったのですが、読書好きで学校の勉強はよく出来たからでした。
40過ぎるまで私は発達障害と疑われたことは一度もありませんでした。
小中学校の時にいじめられていた私は、いじめられないために周囲の人の言動をよく観察して、まわりから浮かないようにいわゆる「普通の子」と言われている多数派の子たちの真似をして普通に見えるように気をつけていたつもりでいたから、
「普通になりなよ!」
と短大時代に仲の良かった友達に言われた時はさすがに傷つきましたが……発達障害というものがあるということすら知らなかった私にはどうすることも出来ませんでした。ただただ傷つき、部屋に帰ってから一人で泣きました。
ヘルプマーク装着して杖をついて歩いている今も、
「普通に元気そうに見える」
と他人様から言われます。
だけど、私は、もっと早く「広汎性発達障害」と判明して欲しかったです。たぶん、わかっていたら回避できていた性被害もあったから……
上の動画見て下さい!グレーゾーンも含めて発達障害の特定の特徴の強い女性は性的に狙われやすいです!!性行為を目的としたメンヘラ狩りもあります
そういえば、あの頃の専務って今の石坂浩二に似ていたような気がする。専務の方が大柄な印象だったけど……
専務は、ロマンスグレーで眼鏡かけててお香のいい匂いしていて、懐中時計持っていて、スリーピースのスーツをおしゃれに着こなしている優しい紳士的なおじいちゃんでした。
でも、それは、表の顔でした。
裏では、嫌がって抵抗している私に性加害加えていて、奥さんがやってるラーメン屋にも平気で私を連れて行くような人でした。
おばあちゃん子だった私は、祖母に連れられて老人クラブの温泉旅行にもついていき、幼少時からおじいちゃんやおばあちゃんたちにかわいがられて育ったものですから、おじいちゃんに対して性的な意味で警戒する必要性があるなんて思ってもみませんでした。
最初は好印象だっただけに、性加害加えられてからは「裏切られた」「騙された」感がすごくあって、仕事でも専務には従いたくなくなっていて頑張りたかった仕事も嫌になっていきました。
助手席に乗った人がヘッドバンキング状態になるような危険で荒い運転しかできない私が、実家からマイカー通勤など出来るわけがありませんでしたから、両親の勧めで住み込みで働けるアパート寮のある知床の某ホテルへ就職したわけなのですが、そこで私は性被害に遭ってしまいました。
誰にも言えませんでした。
本当の理由は言えないまま、泣きながら実家に電話して父に迎えに来てもらい、夜逃げ同然に(農家である)実家のダンプに荷物積み込んで実家へ逃げ帰りました。
当時、誰にも言えなかったのは、何をされたのかを言いたくなかっただけではありません。
私も含め妹二人もまだ未婚の若い娘で、名前の似ている妹と間違えられて誤情報が噂話となって尾ひれがついて広まってしまった場合、当時から結婚願望のなかった私ではなく、結婚願望の強い「早く嫁に行きたい」と言っていた妹の結婚に支障が出る可能性もあったため、本当に誰にも言えませんでした。
私が退職した後も、未練があったようで専務は、
「同じアパート寮で暮らして知床の違うホテルで働かないかい?」
と実家に電話してきましたが、お断りして、遠くへ出稼ぎに行きました。
実家の場所も知られているから会いに来られたら嫌だったからです。
まだ働いていた時に、専務に襲われないように休暇中は実家に帰っていた私を専務は実家まで迎えに来て、知床へ向かう途中にある山の中の逃げようがないような場所にあるラブホに連れ込み添い寝強要して体を触ってきたんですよ!
夜逃げ同然で実家へ逃げ帰った理由はそれでした。もう、我慢の限界でした。
それ以降、私が地元から近い地域で働くことは二度とありませんでした。
ストーカーとか性被害から逃げるために何度も何度も引っ越しや転職もしました。
お給料の未払いもあったし、短期間で引っ越し繰り返していたから引っ越し費用でお金もかかったため、借金もしました。
今みたいに被害女性が助けを求められるような場所がなかったし、あったとしても知名度がなかったから助けを必要としている人に必要な情報が届かなかったまだネットも普及していなかった時代のことでしたから。
ちなみに、グレーゾーンも含めて発達障害の特定の特徴の強い人、知的障害の人でそれなりに容姿の良い人は性被害に遭いやすい傾向にあるようなので、子供のうちから早め早めに性的に嫌なことをする人から逃れるための教育をしてあげて下さい。
女子は柔道の授業なかったけど、私は護身術を小中学校の授業や課外活動とかで教えて欲しかったです。
こういうご時世ですからね、子供が性被害を回避するためのマニュアルも必要とされているだろうし、親が子供を性被害から守るためのマニュアルも必要なのでは?と思うのですが、これは性被害者本人もまじえて複数の人間が話し合って作成した方が良いと思うんですよね。おそろしいことに、性犯罪者側には情報共有や「こういう特徴のある子はチョロイから狙いやすい」といったマニュアル的なものが存在しているそうです。