お久しぶりです+お知らせ(長文すぎてごめんなさい) | 1度余命半年宣告→余命1ヶ月の26歳若年性乳癌患者

1度余命半年宣告→余命1ヶ月の26歳若年性乳癌患者

2015年7月歳夏に乳がん発覚
2016年1月余命半年宣
6月CTで見えなくなるほど縮小
11月肺に3つ転移,腫瘍拡大
1月余命今週いっぱい→今月いっぱいになる

1度余命宣告を受けましたが負けずに闘って生きます。ガンなんか、ぎったんぎったんにしてやる

10月終わりに、20代サバイバーさんたちとオフ会してきましたよ♡
遅れて行ってしまって大変な申し訳なかったです(T ^ T)
でも、クッキー喜んでくれて嬉しかった♡
やっぱり、こういう交流は大事だし『あれをやろう』『これをやりたい』色んな事をやろうと、みんな生き生き楽しく話せたなぁ
みんな、やりたい事がたくさんあって出来なくて悩むこともあって.....でも、こうやって会えたら楽しいね(*´ω`*)
また、みんなでマザーズ東京にいく予定だから楽しみ!
ディズニーやサバイバー修学旅行もしたいね(●´▽`●)

猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま

さぁ、お知らせです。
先週火曜日のできごと。
胸の下が激痛で、少し熱(37.5くらい)も出ていたので病院に連絡すると受診になりました。
この日は、母も投与の日だったのでついでという感じでした。
その後、CT検査をして診察のため入室。
ん?なんか少し雰囲気違う??なんて考えてました。

そこからは、殆ど前半の話は覚えてません。
『胸の下が少し大きくなってるのと、肺に小さく三つ転移してるんだよね〜.....』

もう泪が止まらなかったです。大きくなってるより、『肺に転移』がショックより『怖い』という感情でした。
それは、いまもまだある感情です。

『胸の下は1.5㌢、肺は際だ8㍉。右に1つ、左に2つ』

これが結果です。色んな話をして、診察終了。涙を拭いて母のいる化療室へ。
でも、母の顔を見たら泪が溢れて『ごめんなさい』といいながら、ただただ泣きました。
『怖い』『心配かけて申し訳ない』その感情だけでした。
頭には、もう弱る自分しか思い浮かんでばかりです。
その後は、なんとか涙も止まり『やるしかない。まだ小さいし少しずつ効いてくれたら無くなるかも』と母と話しました。


1週間経ちましたが、やっぱり怖いです。
まだ大泣きするくらい怖いです。
知人に『治らない』『覚悟はしといた方がいい』とガン仲間(喉頭ガン等の経験あり)といわれ、その言葉が頭から離れません。
嫌だ。死にたくない。まだ生きたい。私は、まだ26で終わりになんてしたくない。

『乳がん』『肺転移』で検索。凄く悪いことも良い事もなかったです。
アメブロでも検索し、肺転移しても数年頑張られてる方や、その方のお父様が最初の発覚から20年落ち着かれ頑張られているとも書かれているのをみて、『私も頑張れる。来年.....20年生きるのも可能なんだ』と少しポジティヴになったり、ネガティヴになる事が多かったり.....
ネガティヴで、怖いと知人に話すと『らしくない』と言われました。
でも、私は告知二日目で簡単に受け入れる事なんて出来ない。ガンになってないから、死の恐怖を味わっていから言えることなんですよ。
らしくない?じゃぁ、ニコニコ前向きにいなければ私はいけないの?それが、私らしくだというなら私は私をやめる。

他人事だから、簡単に『らしくない』『それは結果で、まだ分からない。十中八九なるとかおもっても足掻くぐらいしかできないだろ』『まだなってないのに言うな』なんて、正論ばかり恐怖の人間に押し付けられるんだよ。
『肺取るわけいかないだろ。怖いけど立ち向かう』最初のから立ち向かう気はあるよ。
私は、諦めてない。そんなの前提として最初からあるんだよ。だけど、恐怖はまた別の所にあるもので、簡単に飛び込めなんてしない。
もし、貴方の周りに死に恐怖を抱いてるひとがいたら正論ばかり押し付けない出ください。
ときとして正論は、ひとを追い込みます。
話を聞いてあげてください。
実際この言葉で、精神的に辛くなりどうにかなってしまいそうでした。

長くなり、愚痴を言ってごめんなさい。
闘病は、まだまだ続きます。折角伸びた髪も、また抜けてしまうとおもうし副作用で苦しむと思います。
今も、傷みや発熱が38.0代に余裕にいき以前の状態を思い出します。腫瘍が大きくなってるんだと。痛み止めも増えオキシコンチンが1日120㍉に。
怖い気持ちが大きいけど、頑張って治療していきます