短篇を書く技術 | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

わたしのアメブロ創作仲間の一人(ですよね?)であります発掘屋さんが、今度は異世界譚を始められました。

発掘屋さんといえばシリーズ物の連作「Jump! Jump!! Jump!!!」だけじゃなく、初期の「風の中で僕らは」のようなリリカルな作品があるかと思えば「淫夢清浄」のような人の感情の生々しさを描いた物もあり、かと思えば真名さんやわたしの書庫のオープン祝いの作品を書かれたりと、その芸の幅の広さには脱帽するばかりです。
何を書いてもミステリ(というより事件物)の枠組から離れられないわたしとはえらい違いです。

さて、そんな発掘屋さん作品のもうひとつの特徴(というか傾向)といえば、いずれも基本的に短篇だということではないかと思います。(「枢軸の~」は長編のようですが)

短篇というのが、具体的にはどの程度の長さの作品を指すものなのか。
その基準は人によって様々でしょうけど、わたしはブログ掲載で長くても12、3回くらい、章分けしたときに6章程度に収まるくらいが目安ではないかと思います。ウチの場合だと「パートタイム・ラヴァー」はギリギリで短篇ですけど「ブラジリアン・ハイ・キック ~天使の縦蹴り~」は中篇になるわけです。
発掘屋さん作品はもうちょっと短くて、だいたい4章までに収まってるようですね。これは起承転結という物語の基本構造が念頭にあるのかな、と思ったりもするのですが。

さて、一方で我が身を振り返ってみると、なんだかダラダラと長い文章を書き連ねてばかりいるような状態です。いや、ようなじゃなくてまさにそう。「えいみす2型」という不治の病は、すでに末期症状の様相すら見せ始めているのですよね……。
ただ、そんなわたしにも掌篇を書いた経験はあるわけで、いつからそんな体質になってしまったのかと愕然とするばかりです。

まあ、文体によって向き不向きがあるのは間違いないと思うんですが、敢えて別のファクターからその違いを分析すると、短篇作家と長篇作家では「物語の全体像」に対するアプローチが違うんじゃないかと思うのですね。

長篇においては、基本的に描かれる物語はそのはじまりから語られ、未完に終わらない限りは結末まで語られるわけです。だからこそ、長篇はそれだけの長さが必要なのですね。

では、短篇はどうなのか。

おかしな言い回しになりますが、短篇というのは単に短いお話のことではありません。いや、そういう短篇も少なからずありますが。
優れた短篇はその書き出しの前にも、そして、結末の一文の後にも、作中で描かれていないというだけのストーリーが連なっているものだからです。言い換えるなら長い物語の中からある一部分だけを上手に切り取ってみせることが、短篇を書く技術なのです。

まあ、今さら文体を変えようにも簡単ではないし、わたし自身はこれからも超長篇作家(笑)としてやっていきますが、今後とも発掘屋さん作品には注目しながら学べるところは吸収していきたいと思います。
 
そんなわけですから発掘屋さん、真名さんとこで出されたお題のラブコメ書いてください。よろしくお願いしますね。
(要するにこれが言いたかったのです。笑)