結果的に蓮は理性をかなり揺さぶれていた。

「お…お願いがあるです…。」

潤んだ目で彼を見上げるキョーコ。その頬はピンク色に染まっている。

「きょ…今日だけ甘えていいですか…?」

そんな可愛いことを言われて、蓮は揺さぶれないはずがない。

本音を言えば食べてしまいたい。いや、いっそ食べてたい。そのくらいの破壊力だったが、僅かに残った理性必死に抑えた。

「も、最上さん…?」
「…やっぱりダメですよね…。」
「い、いや…ダメじゃないけど…。」

俺の理性がヤバいのだと蓮は大声で叫びたくなる。

しかし、キョーコは蓮の気持ちなど知らず、嬉しそうに微笑むと、彼の胸板に頬をスリスリとした。

そのキョーコの行動はかなり珍しく、いつもは抱きしめたりすると顔を真っ赤にして混乱すると言うのに、今日は背中に彼女の腕がまわり、抱き締め返してくる。

(…俺は試されているのだろうか…。)

今の今まで蓮はキョーコを甘やかしてきた。むしろ、それがちょうど良い具合で、彼女は遠慮深く、甘えることに戸惑いを覚え、甘えると言う行為をあまりしない。

その日、言葉どおりにキョーコは蓮に甘えまくった。挙げ句の果てには、

「一緒に寝ていいですか…?」

枕をもって、もじもじ恥ずかしそうに首を傾げるキョーコに、本気で理性が飛びそうになったが、何とか耐えて、一緒に寝たが、当然安眠など出来る筈がなく、一睡もしないで朝を迎える。

ちなみに抱擁以外は何もしなかった。頬にキスしたら、可愛さがアップして破壊力が増えたので。

「…で、お前はぐったりしていると…?」

タクシーの中、ソファーにぐったりした蓮におり、隣に社がいて尋ねてれば、彼は頷く。

何故タクシーに乗っているのかと言うと、一睡していない身体での運転は危険だと判断したからだ。

「で、何で落ち込んだよ?」

どこにも落ち込む要素なんて無いじゃないかと社は言うが、蓮は首を横に振る。

否定する理由は、朝になって目が覚めたキョーコが普段通りに戻った事にあり、昨日の彼女はどこ行ったのかと疑うくらいで、

『昨日は私の我が儘を聞いて下さってありがとうございます。』

彼女が笑ってお礼を言わなければ、夢だと思ったかもしれない。

「…もしかしたら、脈ありなんじゃないかって思ったんです…。」

期待をしてしまったのだ。甘えてくるキョーコに。けれど、現実は違うらしく、

『…私、敦賀さんみたいなお兄ちゃんが欲しかったな…。』

ポツリと悲しそうに微笑んで呟く彼女に、蓮がキョーコに向けるような感情は伺えず、それは言葉どおりに兄に対する気持ちに近い気がした。

「ま…まぁ、気長に頑張ればいいじゃないか。兄ってことは心の内側に入れてくれてるってことだろ?」
「それはそうですけど…。」
「大丈夫だって。どこぞの馬の骨が現れないかぎりは。」

社は知らない。キョーコには以前、好きな男がいたことなど…未だにそれを引きずっていることを。

大分マシにはなったが、フッとテレビで“不破尚”を見ると彼女は悲しい表情をする。

それを目撃するたびに蓮はキョーコの気持ちを思うと胸が痛む。しかし直ぐに心が支配する感情は怒りと嫉妬。

(…馬の骨、か…。)

いるとすれば、その彼しかいない。会ったことすらない“ショウちゃん”が…。

(冗談じゃない…。)

そんなことあってたまるかと蓮は拳を握りしめたのだった。